シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

12.奈良時代、鑑真の招聘による三宝の完成

奈良時代三宝の完成を目指し、大和朝廷は僧を求めて遣唐使を送りました。その期待に応え、753年、日本に来てくださったのが「鑑真」です。
三宝とは
538年に百済から仏教が伝来、603年に冠位十二階が制定され、三宝を敬うことが定められていました。三宝とは、仏・法・僧のこと。仏はほとけ、お釈迦さま(つまりは仏像に置き換え代替)。法は、幸せになるための仏教の教え(仏典)のこと。僧はその教えを生きる、仏教僧のこと。
■鑑真の招聘
当時、寺や大仏の建設のため、税や労働により農民たちの生活が苦しくなっていました。また、僧には税金がかからなかったため、重税から逃れるための僧が急増し、仏教界が乱れてしまいました。そこで、正しい仏教を教えてくれる僧を日本に招聘しようと、遣唐使を送ります。※遣唐使自体は7世紀~9世紀(618~907年)にかけて日本から唐に送られました。最初は743年に渡海を企画するも失敗、以降2度、3度と重ねますがいずれも失敗。5度目の失敗の苦労からついには失明をしてしまいます。6度目のチャレンジで、753年、ついに屋久島に到着したのでした。以降、鑑真ら10人を越える僧侶たちが儀式の仕切り役となり、鑑真の日本での10年間の活動の中で、次々と僧侶が誕生していきました。
■鑑真のその後
鑑真により三宝が完成します。しかし鑑真が目指した、仏教の実践・修行によって「自分自身を完成させていく」という方向ではなく、国家によって運営・規制された、国家宗教、もっといえば既存の神、既得権益との融合、「神仏習合」という形で折り合いがついていったようです。
<参考>
鑑真~仏教の発展~ | 歴史にドキリ | NHK for School
第3回:国家運営の任務を帯びた日本の初期仏教 | nippon.com
鑑真 - Wikipedia