シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

20.キリスト教を受け入れた日本のコンテナ型思考

 日本では16世紀、1500年代後半からキリスト教が受け入れられていく。神道や仏教もあったのに、なぜさらにキリスト教を受け入れることができたのだろうか。

■なぜ日本はキリスト教を受け入れることができたのか
ユダヤ教キリスト教イスラム教は一神教です。一方、日本の八百万信仰は、多神教的といえるでしょう。なぜ日本はキリスト教を受け入れることができたのか。
もともと日本人はポテンシャルとして、技術でも、宗教など心の教えでも、なんでも良いものは取り入れる好奇心、そして受容性を備えていると思います。そういった中で、後発の教え、勢力として、排他や淘汰されず今日まで続いてきたのは、当然活動される方々の努力あってのことですが、次の4つが考えられます
イエズス会の戦略、大名には貿易の利権を、また大型船での戦力としての威嚇
②当時の戦国時代の荒れ果てた生活の中での救いを求める人々の要望
③草の根的な教育、医療などの慈善活動
これに加え、
多神教的な枠組みの中で既存の仏教など に上乗せして並立させられる寛容さ
でしょうか
以下はオペレーティングシステムや物流の概念を用い理解を試みる。多神教の学びがあると、1つの頭の中に、コンテナ(入れ物)があって、異なるタイプのものを許容できる。コンテナAの考え方でやっているところに、また別のコンテナBというものが運ばれてきた。それならAの隣にBを置けばいい。なんならAもBともバラして、1つの積み荷にとしてまとめたら(いいところは取り入れて)いいじゃないかと。つまりパラレルで存在可能させられる、コンテナ型の思考をしている。
一方、一神教では。
コンテナAがあったとき、コンテナBがくると、同じかそうでないかの判定がはじまる。違う、同じじゃないとなる。つまり、原則1つしか存在させられない。そういう発想になる傾向があるのではないでしょうか。ところで、一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教は、実は同じ神を現しています。
教え、 神、 教典をまとめると次のようになる。
ユダヤ教 / ヤハウェ(神) / 戒律(旧約聖書
キリスト教 / 三位一体:ヤハウェ(父)、イエス(子)、精霊 / 隣人愛(新約聖書旧約聖書)
イスラム教 / アッラー / コーラン旧約聖書新約聖書
です。
教典も旧約聖書部分は同じです。聖地も同じ場所ですし。一神教でとらえる「神」のイメージは万能の神、唯一神です。創造神に近いイメージです。一方、日本やギリシャ神話の神々は異なります。日本の古事記や、ギリシャ神話の神々は、優秀ながらも、どちらかというといろんなことをやらかします。キャラが濃く人間味にあふれています。
イメージは「人生の先輩」、兄さん姉さんが生きていたときの功績で、そのまま偉くなって神さまになっちゃった、というイメージでしょうか。
<参考>
・サクッとわかるビジネス教養 宗教と世界
・図解 眠れなくなるほど面白い ギリシャ神話
・マンガ面白いほどよくわかる!ギリシャ神話
・マンガ面白いほどよくわかる!古事記