シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

25.銀の島ジパング、世界有数の大都市「江戸」

16~17世紀のヨーロッパでの大航海時代の進展し、貨幣経済が発達、銃などの火器が発達していく中で、世界市場で大量の銀が必要となます。そして共通通貨として銀がその役割を果たします。宣教師・ザビエルは日本のことを「銀の島」と書簡に記しるているほどでした。当時、日本は世界でも有数の日本の銀の産出地でした。また、人口においても江戸時代、世界最大規模の都市となっていたのでした。

■戦国時代から江戸時代初期、当時の日本は有数の銀山の産出国
戦国時代から江戸時代初期まで、日本は世界でも有数の銀産出国でした。 島根県石見銀山の年間最大産出量は38トンを誇りました。 朝鮮人技術者からもらたされた「灰吹法」という精錬技術により、良質の銀の抽出が可能になったことがその一因です。灰吹法は石見のほか、但馬の生野銀山佐渡の鶴子銀山など、日本各地へと伝わります。 当時の世界の年間銀産出量である600トンのうち、200トン、3分の1は日本産でした。 そしてそれは世界最大の産出量を誇る、ボリビアの「ポトシ銀山」の銀とともに 世界通貨として流通していきました。
■江戸時代、日本は世界でも有数の大都市だった

江戸は人口100万人を超える世界最大規模の都市だったと言われます。ただし、参考文献によって諸説あり、少なくとも70万~100万ほどのようです。昔は統計がないため歴史家が推計しています。日本の場合、産出が難しいのは参勤交代などの大規模な移動もあり、正確な数値を推定することが難しいようです。100万人規模という人口は、1700~1750年頃のヨーロッパの主要都市である、ロンドンやパリを上回っています。また、文化や教育の面においても戦争のない約250年ほどの平和な時代を築いた日本では、元禄文化や、寺子屋によって読み、書き、そろばんを教えるなど、文化や教育の面でも発展していました。元禄文化では富を蓄えた町人が、俳諧、芝居、浮世絵などを鑑賞するゆとりがあったようです。有名な俵屋宗達の「風神雷神図屛風」もこの時代の作品です
■感想)昔の日本を見つめ直してみては?
わたしたち日本人は自分たちを内側から見て、自己卑下してしまう傾向があります。 しかし外側、海外からの視点で、さらに世界の潮流からみるといかに高度な水準に達していたかがわかります。人口、技術、文化、芸術などです。これらの魅力が、スペイン、ポルトガル、イギリス、アメリカが日本にやってきて貿易をしたがった理由でもあります。またスペイン・ポルトガルの全盛期においても、武力によって植民地化されずに抑止、けん制ができたのは、過去から続く武士たちの力や組織的な統率力もあるでしょう。またいちど鉄砲など新たな技術を学んだあとは、すぐに国産化してしまう技術なども外国人から見て驚くべき力といえるのかもしれません。
<参考>
銀について
・エリア別だから流れがつながる世界史
・地図でスッと頭に入る世界史
日本三大銀山とは!?
島根県:世界に知られた石見銀山(トップ / くらし / 文化・スポーツ / 文化財 / 世界遺産石見銀山遺跡 / 石見銀山遺跡について)
江戸の人口について
歴史上の推定都市人口 - Wikipedia
・図解オールカラー 流れがわかる日本史