シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

32.西南戦争から自由民権運動へ、体制批判は武力行使から言論へ

武力から言論による体制批判へと転じていった2つの出来事。西南戦争自由民権運動西南戦争から自由民権運動が盛んになっていった背景にはどのようなことがあったのか。明治時代初期の制度改革も含めながら背景をみていく。

■四民平等
政治制度のほか、身分制度も変わっていった。

身分制度
・皇族:天皇家の一族
華族:公家や大名
・士族:武士
・平民:百姓、職人、商人
差別されていた「ひにん」も解放令を出して平民とした。

「四民平等」の理念に基づき、
・平民が苗字を名乗ること
華族、士族、平民相互の結婚を認めること
職業選択の自由
・移動の自由
などを認めました。
しかし実態としては身分的な関係は残り、差別意識も根強く残った。

■富国強兵
欧米諸国に対抗する近代国家とするために、「富国強兵」をスローガンとし様々な改革を進めた。

■税制
それまで「年貢米」によって治めていた税を「税金」で納めさせるようにした。また土地所有者に税金を負担させるよう地券を発行した。地券には土地所有者、面積、地価を記させた。地租改正と呼ぶ。ただ民衆としては負担額としてあまり変わらず不満であった。

■軍事
全国統一の近代化された軍隊制度をつくるため「徴兵令」を出した。満20歳以上の男性に徴兵検査を受けさせ3年間の兵役を義務付けた。しかし多くの免除規定があった。実際には貧しい農家の次男や三男が兵役につくことが多かった。

近代的な兵隊の育成も進む。海軍はイギリス式を採用、陸軍はフランス式を採用。
※当初ドイツ式を採用するが、フランスとし、再び明治20年頃ドイツ式となった。
そして徴兵令で集めた人々を兵士として育成していく。

政府はこれまで武士だった士族に対し給料(俸禄)を払ってた。財政への負担となっていたため1876年には俸禄の支給を打ち切りった。士族からの大きな反発が生まれた。

■教育
幅広い知識を国民に身につけてもらうため「学制」を定めた。6歳以上の男女すべてを小学校に通わせるようにした。

■殖産興業
近代産業を推し進める政策が「殖産興業」。明治政府は外国人技術者を招き先端技術を取り入れた。国営工場である官営模範工場をつくった。八幡製鉄所造幣局富岡製糸場は日本三大官営工場と言われている。交通分野では1872年に新橋ー横浜間の鉄道が開通する。通信では飛脚に代わる「郵便制度」が導入される。

岩倉使節団
明治維新期に日本からアメリカやヨーロッパ諸国に派遣された使節団。期間は1871年12月23日から1873年9月13日まで。欧米諸国の文物視察、友好親善、不平等条約の改正などを目的としていた。岩倉具視特命全権大使とし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。ただしこの時点での不平等条約の改正は失敗に終わった。

■御雇外国人
欧米の技術、学問、制度を導入して「殖産興業」と「富国強兵」を推し進める目的で雇用されていった。官庁の上級顧問だけでなく単純な技能者も含まれる。ジャンルは鉄道、造船、農業などの技術のほか、法学、教育などの思想的なものにまで及ぶ。1872年の段階で378人、1875年で572人、明治時代全体でのべ3000人にのぼった。有名な御雇外国人には以下の人たちがいる。
造幣局のトーマスキンドル:イギリス
・建築家のジョサイア・コンドル:イギリス
・外務省・憲法草案で活躍のヘルマン・ロエスエル:ドイツ
・軍事:クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル:ドイツ
・動物学者のエドワードモース:アメリ

■高まる士族の不満
明治政府による徴兵制、俸禄の打切り、廃刀令(1876年)などの改革は、士族である武士の特権を奪うものだった。結果、士族は没落していく。そして士族からの不満が高まる。その不満をそらそうと留守政府「征韓論」を打ち出しす。そのとき岩倉具視は欧米歴訪中だった。留守であったため組織された国内側の体制が「留守政府」。「征韓論」は当時鎖国していた李氏朝鮮に対して開国を迫る内容だった。開国しなければ武力行使やむをえずという強硬策だった。欧米諸国から帰国した大久保利通伊藤博文はこれを否決する。結果、その後政府内の対立が激化する。1874年、西郷隆盛板垣退助は政府を辞職した。

西南戦争
1877年、西郷隆盛は鹿児島の士族とともに反乱を起こす。不満を持った士族たちのリーダー役をかって出た面がある。しかし戦闘のプロであった士族・武士が、徴兵された兵士が勝利、近代的な軍隊の前に敗れた。このことが士族の存在意義自体を否定するきっかけとなった。

自由民権運動
士族たちは武力では国を動かせないと悟るに至った。そして言論を通じて政治改革を求める声が高まる。自由民権運動は言論で政府を批判し、国の在り方を説くもの。最初の自由民権運動は士族が中心だったが以後は豪農とよばれる地方の有力農民にも広がっていった。薩長出身者で独占された藩閥政治専制政治を批判、国民から選ばれた議員によって政治を行うため国会の早期開設を求めた。

<参考>
・改訂版 中学校の歴史が1冊でしっかりわかる本
・図解 「坂の上の雲」から見た明治人の生き様
・日本史みるだけノート
岩倉使節団 - Wikipedia
征韓論 - Wikipedia
明治六年政変 - Wikipedia
自由民権運動 - Wikipedia
脱亜論 - Wikipedia
廃刀令 - Wikipedia
官営模範工場 - Wikipedia
お雇い外国人 - Wikipedia