第一次世界大戦中にロシア革命が起きロシア帝国が崩壊する。なぜ社会主義国が誕生したのか。どのような理想を掲げて誕生したのだろうか。共産主義と社会主義の違いはなんだろうか。
・ロシア革命の背景
・ロシア革命
・ロシアと日本のシベリア出兵
・日本軍の対応
・日本国内への影響
上記の流れにて紹介していく。
■ロシア革命の背景
第一次世界大戦でドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン、ロシアの4帝国が崩壊した。特にロシアは近代化が遅れていた。第一次世界大戦での国民を挙げての総力戦に突入したため、一気に疲弊、国力が低下する。国民が生活に困窮しただけでなく、兵士たちも加わり、ストライキやデモが発生した。
■ロシア革命
第一次世界大戦中の1917年にロシア革命が起きた。1721年から続いたロシア帝国が崩壊した。革命は広がっていった。スイスに亡命中であったレーニンが帰国した。レーニンは社会主義者だった。レーニンを指導者とし、社会主義体制が確立されていった。
■ロシアと日本のシベリア出兵
1917年11月のロシア革命によってソヴィエト政権が誕生した。欧米諸国や日本は社会主義革命が自国に及ぶことを恐れた。翌年の1918年8月、欧米諸国や日本はロシア革命に対する干渉戦争を行った。革命派を抑えて反革命派を支援しようとした。大義名分として革命軍にとらわれたチェコ軍の救出を掲げ派兵を決定した。これが「シベリア出兵」である。
■日本軍の対応
英、仏は西部戦線でドイツと激戦を展開していた。このため日本の戦力を主力する提案が行われた。日本はこれにこたえ、他国の10倍以上の戦力を動員した。日本には野心があった。1920年に他国が撤退したのちも2年近く駐留を続けた。日本は満州や朝鮮半島での権益を拡大したり、ロシアの南下を防ぎたいという軍事目標などもあったと言われている。シベリア出兵により、北樺太、沿海州、満州で占領地を拡大させた。ただし、そののちに撤退した。
■日本国内への影響
1918年、シベリア出兵をききつけた。米商人がコメの買い占めを行った。これが米騒動へと発展した、日本国内が混乱した。騒動の責任を取った内閣は辞職した。新たに原敬が首相となった。日本初の政党内閣が組閣された。
<参考>
・世界史から読み解く 日本史
・西部戦線 (第一次世界大戦) - Wikipedia
・シベリア出兵