シン・ニホンシ

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41.大正デモクラシー、自由解放の新たな風が吹いた新時代

大正時代には個人の解放や、新たな時代にむけた思想や社会運動が発展していく。つぎの流れで紹介。
大正デモクラシー
大正ロマン
天皇機関説
民本主義
・政党内閣
普通選挙
・労働運動
・女性解放運動
大正デモクラシー
大正デモクラシーとは、大正時代に起きた政治、社会、文化など、各方面における民主主義的な活動のこと。時代としては日露戦争後から大正時代の末までを指す。「天皇機関説」や「民本主義」という新たな思想が根拠となって活動が進んでいった。

大正ロマン
大正デモクラシーのほかに「大正ロマン」という「大正」のつく言葉がある。これは、大正時代の雰囲気を伝える「思潮」や「文化事象」を指して呼ぶ言葉である。「大正浪漫」とも表記される。

天皇機関説
天皇を「国家のひとつの機関」として考えるという説。憲法学者美濃部達吉」が発表した。具体的には、憲法に基づきながら、統治権を行使する「国家の最高機関」としたもの。議会や政府のサポートを得ながら、天皇が意思決定をする。議会によって制限がかけられるということでもあるし、また内閣には内大臣という天皇をサポートする大臣もいた。
なお、大正時代は1912~1926年までの15年間。大正天皇がご病気であるということもあり、実質、あくまで天皇主権の形を変えずに、権力をうまくシフト、サポートする体制がとられたと考えられる。

民本主義
天皇君主制の中での民主主義のこと。「民本主義」の思想としては、主権は天皇にあるとしつつ、一般市民の意向を重視すべきとした。そして「政党内閣制」や「普通選挙」の実現を目指した。政治学者の「吉野作造」が民本主義を唱え、またこの運動をリードした。

■政党内閣
主に薩長中心の藩閥政治によらない、政党内閣が求められていた。そのような中で1918年に原敬が首相となった。原は薩長出身でもないばかりか、幕末に幕府側につき朝敵とされた南部藩(現在の岩手県)の出身。 かつ、平民出身であった。初めて本格的な政党内閣が組織されたことになる。

普通選挙
1925年、加藤高明内閣のもとで普通選挙法が成立する。選挙の資格から「納税条件」が撤廃されたもの。工場労働者や土地を持たない農民によって生活の改善を求め、政治参加を求める運動が起こっていた。

■労働運動
1912年、鈴木文治が友愛会を結成する。労働者の地位向上、労働組合育成を目指した。賃上げなど労働条件の改善を求めたストライキなど、日本の労働運動の中核となっていった。

■女性解放運動
女性の地位向上を求めた「平塚らいてう」らが、1911年に女流文学者団体の「青鞜社」をたちあげた。女性解放運動の先駆けとなった。その後「市川房江」らの新婦人協会に引き継がれた。女性の参政権を求めるなどの運動を行っていった。ただし、その実現は第二次世界大戦後となり1946年に女性の参政権によって初めてのの女性議員が誕生することになる。「津田梅子」は明治~大正にかけての日本の教育者である。女子英学塾(現:津田塾大学)の創設者。日本初の女子留学生の一人。欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性。日本における女子教育の先駆者とされており、自立した女性の育成を目指していった。第二次世界大戦後の民主主義を形成していくうえで、大正時代の社会運動が大きな遺産となった。

<参考>
大正デモクラシー - Wikipedia
大正ロマン - Wikipedia
天皇機関説 - Wikipedia
美濃部達吉 - Wikipedia
女性参政権行使70年 | 内閣府男女共同参画局
平塚らいてう - Wikipedia
津田梅子 - Wikipedia