シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

46.広島と長崎、二つの核爆弾を経験した日本と帝国主義思想の終焉

二つの核爆弾が落とされ、第二次世界大戦終結する。
人類は核戦争の悲惨さを、経験をもって学んだ。
次の流れでみていく。
・核実験の歴史
核兵器開発の競争
核兵器を誰が最初に使うかでその後の人類史が変わる
・二つの核爆弾を経験した日本だからこそできること
帝国主義思想の終結と民族の自立
・人類が大きく学んだこと

■核実験の歴史
 1898年、ピエールキュリーとマリ・キュリーによって放射性物質が発見された。 その後、研究が進んでいく。枢軸国側での開発の成功を恐れたアメリカ、イギリス、カナダによって 「マンハッタン計画」が実行される。そして1945年7月16日、アメリカで世界初の核実験が実施された。そして運命の日。1945年8月6日、広島へ、8月9日、長崎へ。原子爆弾が投下された。
 戦争終結後も核実験が各国で行われた。
 ・1949年:ソ連
 ・1952年:イギリス
 ・1960年:フランス
 ・1964年:中国
 ・1974年:インド
 ・1998年:パキスタン
 ・2006年:北朝鮮
常任理事国のほか、隣接する国と紛争している地域でも核が開発された。1962年にはキューバ危機もあった。ソ連キューバに核ミサイル基地を建設し、アメリカ合衆国カリブ海キューバ海上封鎖、核戦争寸前まで達した出来事である。また、イスラエルやイランでも核が開発されている。核使用の可能性は、現在においても消えたわけではない。

核兵器開発の競争
戦時中、ドイツが核開発の研究を重ねていた。日本でも開発が行われていた。アメリカの開発はドイツに比べて遅れていた。ドイツの研究に危機を感じたレオ=シラードは、 アインシュタインに働きかけを行った。1939年、アインシュタインは、核兵器開発の呼びかけのための手紙をアメリカ大統領・フランクリンルーズベルト宛に送った。その後、連合国側のアメリカ、イギリス、カナダはマンハッタン計画を実施する。ユダヤ系物理学者・ロバートオッペンハイマーらの指導の下で核開発が成功した。
 書籍「ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」によれば、「ドイツより先に原爆を持つ」というのが 物理学者たちの至上命題であった。1945年5月のドイツが無条件降伏した。彼らは至上命題の達成した。それでも、核開発を止めることはなかった。一度回り始めた歯車を止めることは難しい。

 ちなみに、日本のノーベル物理学賞の受賞者、1949年の湯川秀樹氏、1965年の朝永振一郎氏の受賞の背景には、オッペンハイマーの関与がみられる。

核兵器を誰が最初に使うかでその後の人類史が変わる
 今回はアメリカをはじめとする連合国側が開発に成功した。そして結果、日本に2発、核爆弾が落とされた。もしドイツや、玉砕覚悟の日本が先に核兵器を手にしていたら、その後の人類の歴史はどうなっていただろう。核兵器を「誰が最初に使うか」で、その後の人類史を大きく変えてしまっていただろう。

■二つの核爆弾を経験した日本だからこそできること
 核爆弾をアイデアとして「構想」すること、実際に開発して「保有」すること、そして「使用」するということは、結果が全く異なる。物理学者が構想したままで終わっていればよかったのかもしれない。しかしドイツの研究も進んでいた。あと一歩のところで開発が完成してしまったかもしれない。また、実際に開発した核兵器を、保有するだけにとどめられただろうか。第二次世界大戦では使われなかったとしても、その後の戦争で使われていたかもしれない。もしそうなったとしたら、二国間でお互いが滅びるだけではなく、地球が滅びるまで核攻撃を続けてしまったかもしれない。
 核爆弾によって被害にあわれて亡くなった方、後遺症が続く方の悲しみや痛み、支える方々に与える生活の苦しさは、生きている限り消えることはないのかもしれない。 それでも、人類史は続いていく。
 戦争で滅びない限りは、また次の時代へと、人は生まれていける。それでも、また忘れて戦争を繰り返すかもしれない。そんなときに、歴史を通して、学びを伝えていくことができる。
 日本が世界に向けて、核戦争の当事国として、戦争の悲惨さを、そして核戦争の怖さを伝え、発信していく。そういう意味で、決して忘れることのないように、2度、日本に核爆弾が落とされたのかもしれない。

帝国主義思想の終結と民族の自立
 第二次世界大戦終結をもって「帝国主義」の思想は打ち砕かれた。けっして侵略の歴史は賞賛されるべきものではないが、日本が起こした日清戦争日露戦争真珠湾攻撃といった戦争での日本の勝利は、一方で東洋の国々に対しての希望ともなった。
 東洋の国は、西洋の国に対して劣っているわけではない。法や軍事技術が西洋が先に進んでいただけにすぎない。経済的、軍事的にリードした国が、そうでない国を支配下に置くことが許されるわけではない。
 植民地の支配国に立ち向かい、民族が立ち上がることで、勝利することができるという希望を、各国のリーダーたちに届けることができた。
 ヴェルサイユ条約の十四か条の平和原則以後の独立運動の下地があるにせよ、第二次世界大戦後、東南アジアや、アフリカ諸国において、植民地の支配国からの独立が活発となっていった。

■人類が大きく学んだこと
核兵器は、自分の国ばかりではなく、世界を滅ぼしてしまう危険性がある
・戦争の悲惨さを忘れてはいけない
・いかなる戦争、支配によっても、人々は幸せにはなれない

<参考>
核兵器の歴史 - Wikipedia
核兵器開発競争
アインシュタイン=シラードの手紙 - Wikipedia
レオ・シラード - Wikipedia
マンハッタン計画 - Wikipedia
ロバート・オッペンハイマー - Wikipedia