シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

52.日本国憲法の成立過程

成立過程にいろいろとある日本国憲法である。その過程や、内容としてどうであったか。次の流れで見ていく。
日本国憲法の成立
大日本帝国憲法との大きな違い
・構成
・成立過程
・その後の憲法改正論議

日本国憲法の成立
 1946年11月3日、日本国憲法が公布、1947年5月3日より施行されます。 3つの特徴があり国民主権基本的人権の尊重、平和主義です。これに「象徴天皇制」、第9条の「戦争放棄」があります。また「前文」は当時の世界の理想を明文化したものといえます。

大日本帝国憲法との大きな違い
・主権:天皇主権から国民主権
・人権:法律の範囲内で定められた臣民の権利から基本的人権の尊重・生まれながらにして持つ権利へ
・国民の義務:兵役や納税の義務から、普通教育、勤労、納税が義務化
などの違いがある

■構成
11章103条からなる成文憲法である。大きくポイントは
・前文
国民主権
基本的人権の尊重
・平和主義
がポイントである。

前文:政府の行為によって再び戦争の惨禍を引き起こさないための国民の決意が示された。当時の世界の理想が凝縮されている。

本文:
天皇:第1章 第1~8条
戦争の放棄:第2章 第9条
国民の権利および義務:第3章 第10~40条
国会:第4章 第41~64条
内閣:第5章 第65~75条
司法:第6章 第76~82条
財政:第7章 第83~91条
地方自治:第8章 第92~95条
改正:第9章 第96条
最高法規:第10章 第97~99条
補足:第11章 第100~103条

■成立過程
次のような成立過程を経た。
・1946年2月3日
 マッカーサーは、GHQ民生局に対してマッカーサー三原則に基づく憲法原案の作成を指示した。なお、GHQ民生局はGHQの内部組織であり占領政策の中心を担った。起草にあたり、コートニー・ホイットニー局長以下25人が携わったとされる。憲法草案要綱アメリカ合衆国憲法、世界各国の憲法を参考としたとされる。民生局はマッカーサー三原則を受け、立法権、行政権などの分野ごとに、起草を担当する8つの委員会、全体を監督、調整する運営委員会を設置した。 

・1946年2月8日
 政府は憲法改正要綱、通称・松本案をGHQに提出した
・1946年2月13日
 GHQは松本案を否定した。そしてGHQ案(マッカーサー草案)を政府に提示した。     なお、GHQの上位機関の極東委員会の意見、特にソ連やオーストラリアからは天皇制そのものを廃止する動きもあった。GHQ案によって天皇制が象徴天皇制という形で残された。

・1946年2月22日
 閣議にてGHQ案の受け入れが決定された

・1946年4月10日
 女性も参加した戦後初の衆議院議員総選挙が行われた。以降、4か月にわたって憲法案が審議された。8月24日に憲法改正案が衆議院で可決した。10月6日には貴族院で可決した。

・1946年11月3日
 日本国憲法が公布された

・1947年5月3日
 日本国憲法が施行された。”GHQに押し付けられたもの”との意見もある。事実としてそうである。しかし、一方で日本側の意向も取り入れられている。また仮に松本案のままであるとすると、現在の国民主権や自由な風潮はなかったのかもしれない。

■その後の憲法改正論議
 憲法を改正しようという動きがある。諸外国では憲法などをいったん明文化し、その後改正していく思想で憲法を運用している。日本の場合は憲法や法律などを改定していく動きが極端に弱い。また、憲法を変えると周辺国から軍国主義の復活とみなされてしまう状況もある。このため「解釈」を変えて運用している。なお改正の手法として、加えるだけの「加憲」などいくつかの方法がある。※詳細は別途のテーマにまとめたい。

<参考>
・改訂版 中学校の歴史が1冊でしっかりわかる本
・詳説 日本史図録 第9版
・まんがで読破 日本国憲法
憲法改正論議 - Wikipedia
民政局 - Wikipedia
極東委員会 - Wikipedia
マッカーサー草案 - Wikipedia