シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

117.アレクサンドロス大王の東方遠征がもたらした歴史的な3つの意義

文明と文明をを結びつけたり、他の地域に拡散させるにはなんらかの動機や原因を伴う。古代オリエントの文明や古代ギリシャの文明、この2つを結び付けたのがアレクサンドロス大王だ。そしてその結果、ヘレニズム文化をもたらし、日本では正倉院に格納されるような文物として伝わってきた。アレクサンドロス大王によって古代文明の英知が日本にもたらされたといっても過言ではない。古代オリエント古代ギリシャを確認したのち、アレクサンドロス大王が果たした役割をみていく。
古代オリエント
現在の中東地域で興っていた古代の文明。文明としては古代エジプト、古代メソポタミア、古代ペルシア(現在のイラン、アフガニスタン)にあたる。文明の時期としてはシュメールの古代メソポタミア文明(紀元前4000年)~アレクサンドロス大王の時代(紀元前4世紀頃、前334年に東方遠征を開始)にあたる。なおオリエントとは本来はある地域から見て東を指す。一般的にはローマからみて東。日本の場合は「中近東」を指すことが多い。
古代ギリシャ
古代ギリシャ文明はエーゲ文明、クレタ文明、ミケーネ文明、トロイア文明と、アレクサンドロス大王が遠征を開始するまでの~前334年にあたる、ソクラテスプラトンアリストテレスまでの時代。アリストテレスアレクサンドロスの家庭教師。
※詳細は「116.西洋文明発祥の地、ギリシャエーゲ海の3つの文明」を参照のこと
マケドニアアレクサンドロス大王
フィリッポス2世の子としてマケドニアギリシャの北部)の都・ペラに生まれた。生没年は紀元前356年-紀元前323年。前336年に父が暗殺された。敵対者を倒したのち、20歳の時に王位を継承し、アレクサンドロス3世となった。マケドニアに反旗を翻したギリシャ諸国を制圧し、ギリシャ全土を掌握した。
■東方遠征
紀元前334年にマケドニアを出発し、東方遠征を行った。わずか8年間のうちに中東地域(アラビア半島を除く)、エジプト、中央アジア、そして北インドの一部にまで達した。実質的に当時の世界を征服したに等しい。中央インドの制圧も考えられたが、部下たちの反対もあって引き返した。32歳で没した。東方遠征は古代ギリシャ古代オリエントの文明を融合し、ヘレニズム文明(または文化)をもらたした。なお、仏教発祥の地、インドの釈迦の生没年は2つある(前565年-前486年説,前465年-前386年説)が、どちらにしてもアレクサンドロスより前の近隣の時代。
■中国と日本に与えた影響
ギリシャの彫刻文化は中国や日本にも影響を与えた。ヘレニズム文化が1~5世紀には南西アジアに伝わった。インドの仏教とガンダーラ地方(パキスタン西北部)で融合し、ガンダーラ美術をもたらし、写実的な仏像が生まれるようになった。中国では雲崗石窟(うんこうせっくつ・中華人民共和国山西省大同市)などで影響がみられる。日本では仏教が伝来したのち6~7世紀頃の白鳳文化の美術として影響した。東大寺正倉院ササン朝ペルシアの瑠璃椀(るりわん)、ペルシア人を想起させる酔胡従面(すいこじゅうめん)などが所蔵されている。
アレクサンドロス大王の歴史的意義
大きく3つある
・1つは戦いを通して小さな利害で衝突していた各国をまとめあげた
・2つめは心臓のポンプとしての役割と血管の大動脈のようにギリシャやエジプトの文化を融合したうえで各国へと伝わっていった
・3つめは人々に自由を与えた。ギリシャ智慧や芸術を運び、当時の人びとに戦争をするために働く、負けて奴隷になるという構図以外の思想的、芸術的、精神的な自由、喜びをもたらした。

以下はギリシャのミロのヴィーナス(前2世紀ごろ)、ガンダーラ美術、酔胡従面。

ja.wikipedia.orgja.wikipedia.org

bunka.nii.ac.jp

<参考>
古代オリエント - Wikipedia
オリエント - Wikipedia
古代ギリシア - Wikipedia
・世界の窓 フィリッポス2世
・世界の窓 アレクサンドロス/その東方遠征
アレクサンドロス大王をわかりやすく解説!東方遠征で拡大した領土と強さの秘密 | ターキッシュ・カルチャークラブ
雲崗石窟 - Wikipedia

・世界史が教えてくれる!あなたの知らない日本史
ほか