シン・ニホンシ

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126.欠史八代とは何か

古代の日本史を解き明かすべく数々の歴史学者、考古学者、神学者言語学者生命科学者、小説家たちがその謎を追ってきた。そのとき古事記日本書紀といった歴史書が必ず手がかりとなるのだが、必ず通ることになるであろう「天皇史」のナゾ。ここではその天皇史に関わる謎のひとつ、”欠史八代”を取り上げる。

欠史八代とは
第2代~第8代までの天皇は実在しないのではないかとする説。実在が疑われているのは、特に第2代綏靖(すいぜい)天皇~第9代開化(かいか)天皇までの8代の天皇。学術的には実在していない説が主流となっている。
■初代~第9第までの天皇
名前、在位年、享年を記載した。
1.神武(じんむ):前660年-前585年(127歳)
2.綏靖(すいぜい):前581年-前549年(84歳)
3.安寧(あんねい):前549年-前511年(67歳)
4.懿徳(いとく):前510年-前477年(77歳)
5.孝昭(こうしょう):前475年-前393年(114歳)
6.孝安(こうあん):前392年-前291年(137歳)
7.孝霊(こうれい):前290年-前215年(128歳)
8.孝元(こうげん):前214年-前158年(116歳)
9.開化(かいか):前158年-前98年(111歳)
■なぜ疑われているのか
「日本書記」「古事記」において記述が簡潔となっている。また、天皇陵の場所や治世年数が不自然とされる。春秋歴を採用、1年に2歳年を取る解釈も試みられている。しかしそれでも不整合があり実在説を取るには難しいとされる。天皇と在位などに関連する天皇の開始年の根拠となる「皇紀」の謎については「125.皇紀とは何か:紀元前660年のナゾ」を参照のこと。
記紀古事記日本書紀の成立
古事記は712年に成立。通説では稗田阿礼が語った「帝紀」「旧辞」を太安万侶がまとめたとされる。一方、日本書紀舎人親王らがまとめ720年に完成した。古事記は国内向け、日本書記は海外向けとされる。神話的な内容を含む。また作成時の影響を大きく受けたり、一族の祖のみが記載されほかの人物がまとまっているのではないかとも考えられる
帝紀
帝紀では次のような情報が記載されていたと推測される。天皇の名前、治世中の重要な出来事、治世年数、宮の場所、御陵の場所、系譜、后妃、子供の名前など。
旧辞
旧辞では次のような情報が記載されていたと推測される。神代の物語、神々の祭の物語、天皇や英雄の歴史物語、歌謡、地名・事物の起源説話など。
■「天皇」の号の初めての使用
「日本」「天皇」の号を初めて使用したとされるのは第40代の天武天皇。生没年は631(?)~686年、在位年は673年~686年。日本書紀天武天皇紀は上下2巻の内容が記載され、他の天皇と違い圧倒的な内容量となっている。日本書紀の編纂が開始された中で「現代」にあたり、また息子の舎人親王日本書紀の編纂にあたっていたため当然ともいえる。
■感想
古事記日本書紀成立の「現代」の知識に基づいて書かれており、過去はどうしても情報がおぼろげになっていたのではないだろうか。
■予告
日本の草創期に活躍した天之御中主神高御産巣日神神産巣日神天照大神伊邪那岐伊邪那美、素戔嗚、卑弥呼、台与、大国主日本武尊弟橘媛といった方々については別記事にて紹介したい。
<参考>
・写真と図解でわかる!天皇125代の歴史
・図説地図とあらすじで読む古事記日本書紀
・カラー版徹底図解古事記日本書紀