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145.ピラミッド型の古墳:高句麗王国の古墳群と明日香村の都塚古墳

ここでは「ピラミッド型の古墳」を手掛かりとし古代を探る。古代朝鮮・高句麗王国の古墳群、そして日本の都塚古墳をみていく。
■古代高句麗王国の首都と古墳群
古代高句麗王国の首都と古墳群は中国の「吉林省集安市」と「遼寧省桓仁満族自治県周辺」の遺跡群。2004年に北朝鮮の「高句麗古墳群」とともに世界文化遺産に登録された。吉林省集安市には12,000個の古墳が存在する。
以下、skyticket・航空チケットのサイトで古墳の様子が確認できる↓
skyticket.jp高句麗王国とは
高句麗王国は扶余の王族朱蒙によって紀元前37年に建国したとされる。ただし209年を実質的な建国とする説がある。313年に楽浪郡を滅ぼし、翌314年に帯方郡を攻略した。しかし唐が668年に出兵し、高句麗は滅んだ。平壌に遷都されるまでは現在の中国の吉林省集安市周辺が政治や文化の中心地であった。
高句麗王国の遷都
建国時の都は五女山城(ごじょさんじょう)であった。続いて西暦3年丸都山城(がんとさんじょう)に遷都する。その後、国内城(こくないじょう)に移った。そして427年に再び平壌に遷都した。
■中国側の世界遺産高句麗前期の都城古墳
前期にあった、3つの都、五女山城、丸都山城、そして国内城(こくないじょう)の3つ。世界遺産に登録されているのは五女山城、丸都山城、国内城の3つの都市遺跡、第19代王の好太王碑などの14の王陵、そして将軍塚など26の貴族墓。
↓以下は前期の都城と古墳、wikipediaより

ja.wikipedia.org

北朝鮮の首都平壌周辺にある高句麗古墳群
高句麗王国の中・後期にあたる4~7世紀ごろ建造された63基の古墳群。古墳には多くの壁画が残されているという。当時の高句麗の文化、生活風俗、女性像、青龍、白虎、朱雀、玄武を描いた四神図など。日本の高松塚古墳キトラ古墳との関連性が指摘されているという。
↓以下は中・後期の古墳群、世界遺産ガイドより

world-heritage.net
■明日香村の都塚古墳
都塚古墳は奈良県高市郡明日香村に存在する。一辺が約40mの方墳。日本におけるピラミッド型の方墳で国内では他に例がないとされる。6世紀後半ごろの古墳とされる。蘇我稲目(?~570年)ら蘇我一族の墓である説が有力。
↓以下はCGで再現された都塚古墳
news.tv-asahi.co.jp■まとめ
高句麗王国は扶余族が建国、紀元前37年(または209年)~紀元後668年まで続いた
高句麗の古墳はピラミッド型
高句麗の古墳の壁画は高松塚古墳キトラ古墳(いずれも7世紀~8世紀初頭)などとの類似性もみられる
奈良県の都塚古墳はピラミッド型、6世紀後半ごろの建造。蘇我一族の墓説が有力
<参考>
高句麗 - Wikipedia
・世界の窓 高句麗