シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

151.支石墓の古代朝鮮・北九州での分布、石室が露出した石舞台古墳、八幡山古墳

本記事では「支石墓」に着目し、主にペルシャ方面からの民族が韓国、日本の長崎にまでその埋葬文化をもらたした可能性があるのかを考える。

■支石墓
支石墓はドルメンともいう。数本の支柱となる石柱の上に平たい主石を載せた埋葬のためのお墓。遺体は甕棺(かめかん)、木棺(もっかん)、箱式石棺などに収められる。支石墓は日本では縄文晩期に九州西北部に出現した。弥生時代前期にほぼ終焉し、弥生中期頃までつくられた。世界で最も多いのは朝鮮半島で広く分布している。
↓下記で支石墓のイメージが確認できる。
ja.wikipedia.org

■支石墓の日本での出現エリア
日本での分布は北部九州に多い。エリアは南は熊本県、東は愛媛までに分布は限定される。

■甕棺墓(かめかんぼ)
甕(かめ)や壺を棺(ひつぎ)として埋葬する墓をいう。
焼き物の技術を使い、甕や壺をつくったのちに遺体を納める。
下記の方は九州において支石墓と甕棺墓の分布エリアを図解で示している↓
日本古代史つれづれブログ 古墳は語る(6)~甕棺分布と消滅の謎

■吉野ケ里遺跡
吉野ケ里遺跡でも甕棺墓が出土されている。遺跡全体で3,100基を超えるとされる。
以下で確認できる↓

www.yoshinogari.jp

■世界における支石墓の分布
次に世界における支石墓の文化はどうなっているのだろうか。西ヨーロッパが最も古いとされるが、それが伝播していったのではなく、それぞれの状況に応じて発祥したのではないかとされる。中東では、イラン高原ゴラン高原(現イスラエル)で支石墓が営まれたとされる。南インドでは紀元前1000年頃、遼東半島付近では紀元前1500年頃、そして朝鮮半島では紀元前500年頃出現したとされる。
下記サイトで世界の支石墓の分布を確認できる↓
kodaisihakasekawakatu.blog.jp

■韓国と日本の分布
韓国では古代の百済任那地域に集中する。楽浪郡帯方郡あたりにもみられる。
↓下記で朝鮮半島~北部九州にかけての支石墓の分布を確認できる

kodaisihakasekawakatu.blog.jp

■韓国における支石墓
韓国の支石墓の数は世界一とされる。上記のとおりで、朝鮮半島には紀元前500年頃に伝わったとされる。
↓下記で韓国に関する支石墓の情報が確認できる
skyticket.jp

蘇我氏の墓とされる石舞台古墳
時代は下るが、巨石をうまく利用する文化はどのような人たちであったのだろうか。明日香村島庄に位置する日本最大の方墳で古墳時代後期のものとされる。巨石30個を積み上げた横穴式石室を持つ。墳丘の盛土が残っておらず、花崗岩でできた石室が露出している。蘇我氏の墓であるため何者かによって暴かれたとされる。

八幡山古墳
埼玉県行田市にある八幡山古墳も土で覆われていないタイプの古墳である。直径約80mの大型の円墳で、7世紀前半に造られたとされる。
↓下記で八幡山古墳の画像が確認できる

tokitabi.blog

■まとめ
・日本での支石墓の出現は縄文晩期九州西北部に出現、弥生中期頃までつくられた
・北部九州に多く、南は熊本県、東は愛媛までに分布は限定される
朝鮮半島での支石墓の出現は紀元前500年頃、日本とほぼ一致?
・エリアが北部九州にほぼ限定される、焼き物文化との親和性がみられる

■感想
朝鮮半島では支石墓の埋葬文化に加え、独自の素焼きの技術と卵生神話を表す卵型の甕棺墓が出現したのだろうか

石舞台古墳の盛土が取り除かれてしまった奇妙な例では、古墳における石室とはつまり支石墓の進化形態なのだろうか

八幡山古墳は縄文人とは異なる民族の、民族固有の表現なのだろうか

<参考>
・詳説日本史図録第9版 山川出版社
弥生時代墳墓と埋葬 | 世界の歴史まっぷ
ベトナム中部出土土器棺の型式学的研究
https://core.ac.uk/download/pdf/286918464.pdf