シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

172.ウルのジッグラト、サウジアラビアのペンダント型「葬送の路」、條ウル神古墳

日本の古墳は渡来人がもたらした技術である。そのためルーツやバックボーンを理解するには視野を世界に広げる必要がある。ここではメソポタミアのウルのジッグラト、サウジアラビアで発見されたペンダント型「葬送の路」、そして奈良県の條ウル神古墳を紹介する。

■ウルのジッグラト
古代メソポタミアの中核都市(現在のイラク)、ウルにあるジッグラトはシュメール文化を代表する遺跡で巨大な聖塔とされる。紀元前2100年頃、ウル第三王朝のウル・ナンムが建造したとされる。煉瓦を組み上げて建てられている。聖書においてウルはアブラハムの故郷と記されている。

↓参考①:下記はwikipedia画像表示用。

ja.wikipedia.org

↓参考②:下記でち密に積み上げられた階段の様子が確認できる

natgeo.nikkeibp.co.jp

↓参考③:下記は古代都市ウルにある墓で発見されたリラ(竪琴)に付けられている牡牛の頭。女王プアビの墓で発見された。紀元前2600~2300年頃のものとされる。牡牛の頭は黄金とラピスラズリで作られているとされる。また埋葬儀式では殉葬者が殉死させられるなど残虐な面がみられる。natgeo.nikkeibp.co.jp

サウジアラビアのペンダント型「葬送の路」
サウジアラビア北西で「葬送の路」が発見された。4500年前のものとされる。最長部分は170キロにもなる街道網で道沿いにはたくさんのペンダント型の墓石が並んでいる。道筋に墓が連なっているため葬送路(funerary avenues)と呼ばれているそうだ。学術誌「The Holocene」で研究論文が発表され、主執筆者は、西オーストラリア大学のマット・ダルトン氏とされる。現時点では「葬送路」は仮説にすぎないとのこと。
↓exciteニュース:元の出典はカラパイア より

www.excite.co.jp

■條ウル神古墳
ウルつながりで條ウル神古墳を紹介する。奈良県御所市條に所在し、築造は6世紀後半、最終末の前方後円墳とされる。横穴式石室に特異な家形石棺がある。被葬者は巨勢氏の盟主とされるが特定はできないとされる。巨勢氏(こせうじ)は竹内宿禰姓に出自を持つ古代豪族。大和国高市郡巨勢郷を本拠としていた。6世紀以降で朝鮮半島との外交・軍事に従事し台頭した。当時では新興豪族とされる。巨勢比良夫(こせ の ひらぶ)は被葬者の候補の一人。「條」には絹糸を平たく編んだひも、うちひも、くみひも、あるいは、すじ状に書いた文書、転じて、法律、規則、契約の類などの意味がある。

bunka.nii.ac.jp

■感想
・ウルのジッグラト:
ピラミッド型の神殿。階段がち密につくられている。ウルの王墓・プアビの墓では雄牛の信仰、黄金、琴、殉葬などをキーワードとする文化がみられる。
・葬送の路
ナスカの地上絵よりはるかに大きく、形は前方後円墳に近い。4500年も前の話。
・條ウル神古墳
巨勢氏はウル神、メソポタミア由来なのだろうか。
・「家形石棺」
 別途調査していきたい。

<参考>
・144.「桃」にまつわる桃の種の出土と神秘思想、桃太郎伝説百済の城壁ウル
・145.ピラミッド型の古墳:高句麗王国の古墳群と明日香村の都塚古墳
・世界の窓:ジッグラト
巨勢氏 - Wikipedia
「條ウル神古墳」が国の史跡に指定 | 御所市