シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

174.シン・古代日本史まとめ

古代日本にいったい何が起きていたか。ここまでの記事を元としてまとめを行う。DNA、世界規模での火山の噴火での視点は他の研究に見られないと思われる。次記事以降でここまでの情報をもとに新たな見かたや価値観を提示しつつに積み上げしていきたい。

■DNA
縄文人弥生人は異なる。日本人と韓国・中国人は多少異なる。日本とペルシャなど中東の民族とはグループは異なるが1つ上のグループでは同じ。また、渡来人の中に倭人がいる。

■民族の受け入れや亡命
中国の易姓革命・王朝交代に逃れてきた人、高句麗滅亡、百済滅亡、渤海滅亡などの亡命者の受け入れ。スサノオに追従して新羅に渡ったグループの新羅遠征が渡来系倭人と考えられる。

■大王の墓
秦の始皇帝陵はピラミッドに類似、兵馬俑は驚異的な写実性を持つ。朝鮮、北部九州でドルメン(支石墓)が多い。日本の古墳は輸入時から日本向けにカスタマイズしている。高句麗は石を積んだようなタイプのピラミッド型の古墳。

【時代を区分する要素】
水田稲作の拡散:紀元前10世紀後半~紀元前3世紀
福岡県の板付遺跡は2400年頃の遺跡。関連して水田稲作の拡散は紀元前10世紀後半に玄界灘沿岸地域に渡来した後、徐々に拡散していき、紀元前3世紀ごろ中部高地、関東南部にまで到達する。注意点として拡散と普及は別の話。

古墳時代:西暦250年頃~7世紀ごろ
西暦250年頃~大化改新に薄葬令が出される646年まで(おおよそは538年頃まで)とされる。なお古墳時代の始まりとなる奈良県桜井市にある箸墓古墳前方後円墳、3世紀中頃~後半の建造とされる。一方、「纒向遺跡」については桃の種からの推定では西暦135年~230年、土器付着物では西暦100~200年との分析結果がでている。重なる年代をとると135年~200年頃となる。おそらく纒向は新天地ではなく、既に居住していた人たちのいるエリアであったと推測される。

【古代の王朝】
■宮崎県を中心とした高千穂国(たかちほのくに)
天之御主の誕生は紀元前800年頃。九州南部の宮崎県を中心とした高千穂国(たかちほのくに)をつくり、その後男性の王たちが後を継いだ。そして大分県伊邪那岐家に生まれた天照が高千穂国に召命される形で後を継ぎ、女王となった。須佐之男は天照の弟だった。出雲国で八岐大蛇を退治した。その際にもらったのが奇稲田姫須佐之男新羅に遠征を行った。これが新羅の神話のきっかけとなる。

阿蘇有明海を臨む熊本の大和国邪馬台国
卑弥呼大和国(やまとこく)は有明海を臨む熊本にあった。卑弥呼は当時は日向(ひむか)と呼ばれていた。太陽信仰であった。台与は卑弥呼の姪、宗女であった。38歳のとき、247年に死去したとされ、推定209年頃~247年頃の人物。卑弥呼のあといったん弟の大日之命(景行天皇)が継ぐ。しかし国が治まらなかった。そのため女性の台与が13歳の時にあとを継ぎ、武将たちの力を借りる形で国が治まったという。台与の死後、しばらくしたのち、大日之命の子である日本武尊が活躍し、九州から中国地方、関東へと東征(3世紀後半~4世紀前半の間)を行った。東征の際、出雲の大国主命が協力を行った。妻の弟橘媛も同行していた。帰路となる浦賀水道で暴風にあい、これを沈めるため精霊たちに願い出て入水、犠牲となって日本武尊を救った。

【歴史を動かすポンプ、パイプ】
アレクサンドロス大王
アレクサンドロス大王の東方遠征によってヘレニズム文化を生み出し、東洋と西洋が融合した。例えば、ギリシャの芸術と仏教が融合したガンダーラ美術などを生み出した。

シルクロード
シルクロード経由の商人にはペルシャ人がいることも。新羅にはローマングラスの工芸品がみられる。中国の唐や敦煌といった都、新羅などを経由して日本に様々なモノやヒトが辿り着いた。

■世界規模での火山の噴火
何が古墳時代を終わらせたのか。ひとつの原因として天変地異、火山の大噴火が考えられる。西暦535年~西暦536年にクラカタウ、エルサルバドルで大噴火が起こる。日照量不足を引き起こし、世界中で感染病・ペストがまん延する。ローマ帝国では約5000万人ほど死亡したとされる。百済の538年の仏教の公式伝来もおそらくそのような世界情勢や百済での飢餓の事情を受けたものだろう。これが古代日本での古墳の建造から仏教への転換点にあたる。古代の権力者の不審死の中にはペストなどの感染症によるものも含まれると思われる。それを焼き払うための放火、短期間で一族の人間の連続死などもある。

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■信仰
卑弥呼は日に向かうと書いて「日向(ひむか)」と呼ばれていた。銅鐸は太陽高度の観測装置の場合も。古墳は大王や有力豪族の墓のほか、祭祀や祭りのための祈りの施設。卑弥呼が始めた春と秋のお祭りがやがて祈年祭(2月)、新嘗祭(11月)の収穫を祈ったり祝って感謝する祭祀に転じていったと考えられる。

テクノクラート
法家や官僚、瓦職人、寺工、鉄職人などの仏教関連の使節建築時の先端技術者の受け入れ。

朝鮮半島
朝鮮半島の建国史と神話
高句麗新羅百済の争っていた朝鮮半島三国時代がある。建国時期には諸説あるが紀元前1世紀または4世紀頃。高句麗百済の順で建国される。扶余族が卵生神話を持つ。新羅の第4代王・脱解尼師今(だっかい にしきん)は船で渡来した人物、多婆那国で誕生したことなどから日本人であることが有力。

■日本と古代朝鮮との関り
伽耶任那の支配と倭国はつながりがある。倭の五王の中国への遣使は413年~502年頃。百済での倭人官僚が出現する時期は540年代~580年代の間。地方の中央への反乱と思われる吉備氏の乱は推定463年、磐井の乱(筑紫)は527年に発生。済州島耽羅国の建国神話の三神人の妻が日本人に設定されている。

■残されし歴史の謎
・扶余族の卵生神話の創生時期
秦氏とは、渡来した時期は
蘇我氏物部氏、巨勢氏、忌部氏など古代豪族とは
・日本神道とは、神社とは
倭の五王とは結局何か
天皇とはなにか
・言葉とはなにか
日本書紀は創作なのか史実なのか、結局はハイブリッドなのか
日本書紀がハイブリッドだとすればどこからどこまでが創作なのか
天皇の欠史八大、中国の史書などとの時間のずれが意味すること
・古代にユダヤ人は結局日本に来たのか、来てないのか

■感想
徐々に、徐々に歴史が融合、変化している様を明らかにしてきたがまだまだ謎が多い。次回以降の記事で調査を進めていきたい。