シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

184.新羅の王の名前からわかるハカタのヒミツ~秦氏と八幡の神の関係~

新羅の王を示す「尼師今(にしきん)」という王号がある。「織物」を示す意味があることがわかる。この「尼師今」を紹介しつつ、新羅秦氏との関係、秦氏と八幡の関係、そして秦氏蘇我氏の関係性を示していく。

新羅の発展
三国史記によれば新羅の建国は前57年とされている。歴史学の認識している新羅はいつの時代からだろうか。辰国、辰韓の時代を経て、日本が4世紀の頃、朝鮮半島では高句麗百済新羅が鼎立した頃が認識できている時代だろうか。史実性があるとされているのは第17代王の奈勿尼師今(なもつ にしきん、在位:356年 - 402年)以降とされている。逆にいえば史実性が低い、つまり神話性が高いとされているのが第16代目以前となるが、朝鮮半島において313年には高句麗楽浪郡を滅ぼしたり、366年には新羅百済が第1次羅済同盟を結び、大きな動きも存在する。220年に後漢が滅びたことにより、高句麗百済新羅が発展していったと考えられる。

新羅の王の名前、在位、読み方
新羅における上代の初代~第28代までの王について日本語、在位年、韓国語での読み方を紹介する。

1. 赫居世居西干:前57年-4年 
 かくきょせい・ きょせいかん / ヒョッコセ・ゴソガン
2. 南解次次雄:4年-24年 
 なんかい・じじゆう / ナメ・チャチャウン
3. 儒理尼師今:24年-57年
 じゅり にしきん / ユリ・イサグム
4. 脱解尼師今:57年-80年
 だっかい にしきん / タルヘ・イサグム
5. 婆娑尼師今:80年-112年
 ばさ にしきん / パサ・イサグム
6. 祇摩尼師今:112年-134年
 ぎま にしきん / チマ・イサグム
7. 逸聖尼師今:134年-154年
 いつせい にしきん / イルソン・イサグム
8. 阿達羅尼師今:154年-184年 
 あだつら にしきん / アダルラ・イサグム
9. 伐休尼師今:184年-196年
 ばっきゅう にしきん / ボルヒュ・イサグム
10. 奈解尼師今:196年-230年 
 なかい にしきん / ネヘ・イサグム
11. 助賁尼師今:230年-247年
 じょふん にしきん / チョブン・イサグム
12. 沾解尼師今:247年-261年 
 てんかい にしきん / チョムヘ・イサグム
13. 味鄒尼師今:262年-284年
 みすう にしきん / ミチュ・イサグム
14. 儒礼尼師今:284年-298年
 じゅれい にしきん / ユリェ・イサグム
15. 基臨尼師今:298年-310年
 きりん にしきん / キリム・イサグム
16. 訖解尼師今:310年-356年
 きっかい にしきん / フルヘ・イサグム
17. 奈勿尼師今:356年-402年
 なもつ にしきん / ネムル・イサグム
18. 実聖尼師今:402年-417年
 じっせい にしきん / シルソン・イサグム
19. 訥祇麻立干:417年-458年 
 とつぎ まりつかん / ヌルジ・マリッカン
20. 慈悲麻立干:458年-479年 
 じひ まりつかん / チャビ・マリッカン
21. 炤知麻立干:479年-500年 
 しょうち まりつかん / ソジ・マリッカン
22. 智証麻立干:500年-514年
 ちしょう まりつかん / チジュン・マリッカン
23. 法興王:514年-540年
 ほうこうおう / ポップンワン
24. 真興王:540年-576年
 しんこうおう / チヌンワン
25. 真智王:576年-579年
 しんちおう / チンジワン
26. 真平王:579年-632年
 しんぺいおう / チンピョンワン
27. 善徳女王:632年-647年
 そんどくじょおう / ソンドクニョワン
28. 真徳女王:647年-654年
 しんとくじょおう / チンドクヨワン

第4代の脱解尼師今は57年に即位、その父が多婆那国王とされ、日本人との関係性があるとされる。この57年とは委奴国王が漢奴国王が金印を授かったとされる年である。

新羅の王号について
第3代の儒理尼師から第18代の実聖尼師今までは王を示す「尼師今」がついている。一方、19代の訥祇麻立干~22代の智証麻立干までは「麻立干」へと変わる。なお第1代には「居西干」、第二代には「次次雄」がついている。倭の5王の遣使は賛より413年頃から始まる。同じタイミングで高句麗も中国(安帝)に遣使を行った。その影響だろうか。尼師今の王号が、訥祇麻立干が即位した際の417年より「麻立干」へと変わる。この頃、高句麗と日本が朝鮮における支配関係を競い始めたのだろう。

■尼師今
書く場合において尼叱今のほか歯叱今、爾叱今、寐錦とする場合があるとされる。読む場合はイサグムのほか、ニスクム(nis‐kum),ニトクム(nit‐kum)などと読む。
※日本で出土されるワカタケル(雄略)の鉄剣などでも「歯」の文字が登場する。「る」の当て字ではあるのだが、「王」などの意味があるのかもしれない。

■尼師今による日本と韓国の共通点
・日本語
「にしきん」には「錦」が入る。にしき、キンと読む。高級な織物、糸で様々な模様を織り出したものを表していると考えられる。
・韓国語
「ニトクム」と読んだ場合は「nit」、ニットが入る。ニットは糸を編んで(ループをつくりながら)作られる布地のこと。クムは「王」を表す。

■機織りの「ハタ」
機織りとは機械で布を織ること。秦氏のハタは機織りのハタと呼ばれる。ハタ・ヨガのハタで有名な「ハタ」は実はサンスクリット語。古代インド・アーリア語に属する言語であった。ハタで統合、制御などの意味も。たくさんの糸を織り、制御し、布という新たな形のもの、価値を作り出すということだろうか。

■幡や旗
幡、旗はサンスクリット語の「パカタ」の音写とされる。末尾のタが落ちて「ハタ」となった。しかし伊都国、豊前国でもある現代の福岡の都市「博多」ではほぼそのまま「ハカタ」として残っている。仏教における旗(八流の幡)、密教と関連があるようだ。「八流」つながりでいえば戦国時代の四国、土佐(高知)の武将、長宗我部元親秦氏と関連がある。「八流の戦い」という長宗我部元親安芸国虎との戦いがある。現在の地名は「矢流れ」となっている。実は長宗我部元親も、安芸国虎も蘇我氏の末裔とされ同族同士の戦いだ。それは同時に秦氏の末裔どうしの戦いでもある。長宗我部元親については別記事で紹介する。

■応神と八幡の神
「八幡宇佐宮御託宣集」は1313年に編述された。その中に八幡神の起源が記されている。”辛国(からくに)の城に、始めて八流の幡と天降って、吾は日本の神と成れり”という一文があるそうだ。そして八幡神は次のように名乗る。「われは誉田の天皇広幡八幡麿(すめらみことひろはたやはたまろ)なり。われの名は、護国霊験威力神力大自在王菩薩(ごごくれいけんいりょくじんつうだいじざいおうぼさつ)で、神道として垂迹(すいじゃく)せしものなり」と告げたそうだ。
■応神はいつ渡来したのか
八秦神と応神天皇との関係性が考えられる。応神天皇諡号(しごう)は「誉田別(ほむだわけ)」。在位270年~310年とされている。なお、通説ではないがこの在位期間中だと日本武尊の活躍期(つまり景行天皇時期)と重なると考えられる。

www.kosohachimangu.jp

■まとめ
・「尼師今」という音韻には錦、織物の意味が込められている
倭の五王の遣使の始まる413年ののち、新羅の王の「尼師今」が「麻立干」へと変わり、織物との関連が消える
尼師今と織物に関係がある(秦氏は織物と関連があることが知られている)
尼師今と秦氏に関係がある
秦氏と八幡に関連がある
長宗我部元親蘇我氏の子孫でありその祖先が秦氏であることがわかっている
「八幡宇佐宮御託宣集」によれば八幡神誉田別(応神天皇)は同一
応神天皇の在位期間は、実際は日本武尊の活躍期(景行天皇期)と重なる

■感想
・「尼師今」の調査により秦氏、八幡、蘇我氏倭の五王の遣使が始まることがつながった
応神天皇やその渡来時期、ひいては日本書紀上の設定については今後の調査が必要

<参考>
・一冊でわかる朝鮮の歴史 古代韓国から朝鮮王朝まで
秦氏の夢 長宗我部元親
三国時代 (朝鮮半島) - Wikipedia
新羅 - Wikipedia
朝鮮の君主一覧 - Wikipedia
脱解尼師今 - Wikipedia
尼師今(にしきん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
麻立干(まりかん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
旗|じつは身近な仏教用語|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト
八流の戦い - Wikipedia