前記事では物部守屋と諏訪のつながりを文献から取り上げた。今回は考古学上、長野の特に諏訪における古墳、そして近隣の墓制(周溝墓、古墳)などを取り上げる。次の流れで紹介していく。
・諏訪の縄文時代
・長野県における地域の区分け
・南信濃の弥生時代
・北信濃の弥生時代~古墳時代中期
・フネ古墳
・諏訪大社
・蛇行剣の時代
・埴科古墳群
・森将軍塚古墳
・有明山将軍塚古墳
・倉科将軍塚古墳
・土口将軍塚古墳
・まとめ
■諏訪の縄文時代
・曽根遺跡
・穴場遺跡
・大ダッショ遺跡
・荒神山遺跡
・福松砥沢遺跡
を紹介。
・曽根遺跡
縄文時代草創期の遺跡。
諏訪湖の湖底に広がっているという。
黒曜石製の石鏃、爪形文土器など数万点が採集されているという。
・穴場遺跡
上諏訪地区で最大の縄文遺跡。
縄文中期の18号住居跡から
動物装飾付釣手土器、石棒・石皿などが出土。
祭祀行為を行っていた可能性があるという。
動物装飾付釣手土器はひじょうに特殊な形。
リンク先、諏訪市の公式HPを確認頂きたい。
・大ダッショ遺跡
縄文時代から奈良時代までの各時代の遺構が発見されている集落遺跡。
福沢川の左岸扇状地上に広がっているという。
縄文中期の有孔鍔付土器が見つかっている。
特異な形状をしている。
・荒神山遺跡
中世の大熊城跡と小田井沢川に挟まれた幅の狭い傾斜地にある。
110軒以上の住居跡が検出。
93号住居跡から約40個体分の土器が積み重なり出土。
縄文中期の大型かつ装飾が豪華な土器群であるという。
・福松砥沢遺跡
湖南地区、諏訪西中学校とその周辺に広がる集落遺跡。
縄文、弥生、平安時代の遺構が発掘されているという。
縄文中期後葉の敷石住居跡、一般的な竪穴式住居跡、石器作りの材料となる黒曜石の原石が一ヶ所にまとまって出土しているという。
■長野県における地域の区分け
長野県における地域の区分けに東信、中信、南信、北信の4区分がある。
書籍などによって研究が進んでいる南信、北信に関する弥生時代の遺跡を記述し、古墳時代との境目の参考とする。
長野の地域の区分け区分けの定義は↓が参考となる。
安曇、松本を含むのは中信、
諏訪、伊那、飯田などを含むのが南信。
crd.ndl.go.jp
■南信濃の弥生時代
弥生時代後期を前半、中盤、後半に区別して遺跡を紹介。
「古諏訪の祭祀と氏族」を出典とし、WEBから検索できる参考資料を記した。
南信濃の方形周溝墓の出現は、現時点では場所は権現堂前遺跡、滝沢井尻遺跡でその時期は弥生時代後期の前半である。そして弥生式の墓制が古墳時代まで継続する。
・弥生時代後期の前半
- 権現堂前遺跡
周溝は方形。
土器形式は座光寺原式。
参考:権現堂前遺跡 - 全国遺跡報告総覧
- 滝沢井尻遺跡
周溝は方形。
土器形式は座光寺原式。
・弥生時代後期の中盤
- 角田原1、角田原2
周溝は方形。
- 天伯A
周溝は方形。
参考:下伊那郡鼎町天伯A遺跡 - 全国遺跡報告総覧
- 石子原3、石子原1、石子原2
周溝は方形。
・弥生時代後期の後半
- 帰牛原南2
周溝は円形。
土器形式は中島式。
- 帰牛原南5,4,1,3
周溝は方形。
土器形式は中島式。
- 田村原1,3
周溝は方形。
土器形式は中島式。
- 清水1
周溝は方形。
土器形式は中島式。
- 清水2
周溝は方形。
- さつみ
周溝は方形。
- 帰牛原1、帰牛原2
周溝は方形。
土器形式は中島式。
- 出原西部
周溝は方形。
土器形式は中島式。
- 的場1,的場2
周溝は方形。
土器形式は中島式。
・古墳時代前期
- 田村原2
周溝は方形。
土器形式は元屋敷壺。
■北信濃の弥生時代~古墳時代中期
北信濃の遺跡は南信濃に比べて発見が早かったため、資料が整っていないという。ただし、北信では、現時点では、古墳の出現が5世紀初頭(400年代)、弥生式の墓制が並立。
・弥生時代後期前半
- 須多ヶ峰1号
周溝は卵形。
土器形式は箱清水式後半。
※須多ヶ峰2号の時代は不明だが弥生式後期前半ではないか、周溝は方形、土器形式は箱清水式とされる。
- 安源寺23号
周溝は円形。
土器形式は箱清水式。
- 南大原
周溝は円形。
土器形式は箱清水式。
・弥生時代後期後半
- 安源寺22号
周溝は変形方形。
土器形式は箱清水式。
- 平柴平2号、3号、4号
周溝は方形。
土器形式は箱清水式。
・古墳時代前期
特になし
・古墳時代中期
-照丘
周溝は円形。
土器形式は和泉式新。
- 平柴平1号
周溝は方形。
土器形式は箱清水式。
■フネ古墳
諏訪地方では最古の古墳とされる。
所在は長野県諏訪市中洲神宮寺。
形状は推定で方墳。
大きさは東西に15m、南北に25m。
丘陵先端の地形と合わせた変形であるという。
築造は5世紀前半。
埋葬は割竹形木棺で2基見つかっている。
出土品に
・蛇行剣
・素環頭大刀
・獣文鏡
・直刀
・刀子
・農具
・やりがんな
・鹿の角による剣の鍔(つば)、刀子の柄
がみられる。
この蛇行剣、そして鹿角製品は諏訪大社の上社の龍蛇信仰や狩猟儀礼と関係があるという。
諏訪という局所地域において大工道具の「やりがんな」と「農具」そして祭祀用の「剣や鏡」が見つかっていることが特筆に値する
↓はgooglemap、フネ古墳
↓はwikipedia、フネ古墳
次に、諏訪大社をみていく。
■諏訪大社
・諏訪湖の南側:上社前宮・本宮
・北側:下社春宮・秋宮
の二社四宮が鎮座するという。
御祭神は
・前宮:八坂刀売神
・本宮:建御名方神
・春宮秋宮:建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神
とされる。
↓はgooglemap、上社本宮
↓はgooglemap、下社春宮
■蛇行剣の時代
フネ古墳から見つかった蛇行剣はめずらしいとされる。
ただし、蛇行剣については県外の他の地域でもいくつか出土しているということを念頭に置く必要がある。
蛇行剣が見つかっている古墳はフネ古墳のほかに、
・栃木:桑57号墳:帆立貝式古墳、5世紀後半の築造、30代女性の歯が見つかっている
↓古墳マップ、桑57号墳
そして、蛇行剣といえば2023年に発掘の成果が報告された富雄丸山古墳が有名になった。
・奈良県:富雄丸山古墳、所在は奈良県奈良市丸山、4世紀後半頃、円墳
などが知られる。
↓富雄丸山古墳について取り上げた回
shinnihon.hatenablog.comほかにも、近年では
・愛知県:豊川市花の木古墳群、4世紀前葉から5世紀前葉。
愛知県では蛇行剣の出土は初とされる。
・静岡県:静岡県袋井市五ヶ山 B2 号墳の蛇行鉾、築造は5世紀代
などがある。
↓しずおか文化財ナビ、五ヶ山 B2 号墳
蛇行剣は形状と出土数から儀礼用の鉄剣と考えられている。
4~5世紀頃にみられるという。
蛇行剣は令和2年時点にて、日本列島では、
・約 70 の古墳(群)や墳墓(群)に副葬された約 100 点が知られるという。
その半数近くは南九州(宮崎県・鹿児島県)に分布するという。
なおモノによる時代推定に関連し。
蛇行剣が衰退すると蕨手刀子、蕨手刀が出土する。
・蕨手刀子:5世紀から6世紀に多く出土
・蕨手刀(わらびてとう):7~8世紀
の時代にみられるという。
蕨手刀は、現在までで日本全国でおよそ280点ほどが確認。
その8割が北海道、東北地方から出土。
東北の蝦夷(えみし)が主として使用していた武器であるという。
夷(えびす)と蝦夷(えみし)は異なるとされ、日本の北と南は縄文人のDNAが色濃く残るというが、果たして。
http://www.maibun.com/DownDate/chirashi/Hananoki0729-R.pdf
・しずおか文化財ナビ 五ヶ山B-2号墳出土遺物|静岡県公式ホームページ
続いて、千曲市の埴科古墳群を取り上げる。
■埴科古墳群
長野県千曲市にある4つの古墳群の総称。
いずれも前方後円墳である。
・森将軍塚古墳
・有明山将軍塚古墳
・倉科将軍塚古墳
・土口将軍塚古墳
から構成される。
ほか周辺に古墳群がみられる。
総じて4世紀末~6世紀初頭の築造と推定されている。
周辺には斎場山(妻女山)古墳、坂山古墳、堂平古墳群、笹崎山古墳、北山古墳など、数多くの古墳がみられるという。
↓はwikipedia、埴科古墳群
■森将軍塚古墳
長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在。
形状は前方後円墳。
規模は墳丘長約100mで長野県で最大の古墳。
築造は4世紀中頃。
石室からは三角縁神獣鏡の破片が出土。
「天王日月」の文字がある。
過去記事にて天王日月の銘のある三角縁神獣鏡を取り上げ、長野県千曲市の森将軍塚古墳を扱った。
なお、森将軍塚古墳から安曇市豊科近代美術館とは48.1kmほどの距離。
この美術館から諏訪湖までは約40km、さらに約10km進むと諏訪大社という位置関係。
安曇は別回にて取り上げる。
↓はgooglemap、森将軍塚古墳
↓は長野県千曲市の森将軍塚古墳について取り上げた回
■有明山将軍塚古墳
有明山尾根上にある古墳。
1999年の発掘調査後、埋め戻され、現在は見ることはできないという。
形式は前方後円墳。
築造は4世紀末~5世紀。
大きさは全長は37m。
長野にも有明(アリアケ)の地名が残る。
↓はwikipedia、有明山(千曲市)
九州の有明海が有名だが、その語源はアーリア地方(または人)と推定される。
南九州に多い蛇行剣の出土からも、おそらく諏訪にも4世紀には来たのだろう。
↓はアリ・イラ・イラツはアーリア人系の出自の可能性があることを示した回
森将軍塚古墳の森将軍塚古墳館から2.2kmほどの場所に長野県千曲市倉科・大日堂園地の万葉歌碑がある。
この大日堂に万葉歌碑が残っている。
推定で万葉集の成立した759年頃の建立とされる碑。
埴科の石井の美しい乙女のその謎めいた歌、その美しさのゆえんは渡来人、アーリア人が関係するからだろうか。
↓は長野県千曲市倉科・大日堂園地の万葉歌碑の内容について記した回
■倉科将軍塚古墳
形式は前方後円墳。
大きさは全長83m。
築造は5世紀前半。
■土口将軍塚古墳
形式は前方後円墳。
大きさは全長67m。
築造は5世紀前半。
続いて、飯田古墳群を紹介、簡潔なものにとどめる。
■飯田古墳群
長野県飯田市にある古墳群。
飯田市内には520基以上の古墳が存在したという。
「飯田古墳群」はそのうちの計22基で
・前方後円墳:18基
・帆立貝形古墳:4基
とされる。
その築造時期は5世紀後半~6世紀末頃と推定されている。
↓は飯田市、飯田古墳群、国の史跡に指定された13基が紹介されている
↓はwikipedia、飯田古墳群
うち、御射山獅子塚古墳(みさやまししづかこふん)について。
所在は飯田市松尾。
形式は前方後円墳。
築造は5世紀末から6世紀初め。
この飯田市松尾地区では
・4世紀前半:代田山狐塚古墳
・4世紀中頃:羽場獅子塚古墳
・4世紀から5世紀前半にかけて:弥生時代以来の方形周溝墓がつくられ続けたという
・5世紀中頃:物見塚古墳、茶柄山古墳群などの円墳
・5世紀後半:前方後円墳が造られ始め、代田獅子塚古墳、水佐代獅子塚古墳、茶柄山3号古墳 などが築かれる
・6世紀:松川右岸の高台に前方後円墳集中
・6世紀前半:姫塚古墳
・6世紀中頃:上溝天神塚古墳
・6世紀後半:おかん塚古墳
5世紀中頃から馬に関連する集団が登場したのち、前方後円墳を造り始めたとされる。
↓は飯田市、代田山狐塚古墳
↓は飯田古墳群、御射山獅子塚古
■まとめ
以上、諏訪を中心とした長野の
縄文時代、弥生時代後期(前半、中盤、後半)、そして古墳時代の主な古墳を取り上げた。
古墳の建造時期については
飯田市松尾地区:
4世紀前半~6世紀後半にかけて古墳が築かれる。5世紀中頃より馬に関する集団が登場する。
長野県千曲市:
・森将軍塚古墳:4世紀中頃
・有明山将軍塚古墳:4世紀末~5世紀
・倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳:5世紀前半
諏訪地方では
・フネ古墳:5世紀前半
である。
現在のところ、飯田市松尾、長野県千曲市、諏訪でどこがいちばん古墳の建造が早いかというと飯田市松尾地区の「代田山狐塚古墳」の古墳建造が最も早い。
位置的には、中央自動車道の名古屋~諏訪方面にかけてでいうと、名古屋側の勢力が諏訪方面に出たような場所にあたる。
その時期は4世紀前半、300年代前半にあたる。
<参考>
・古諏訪の祭祀と氏族 古部族研究会編 人間社文庫
・タケミカヅチ - Wikipedia