シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

412.タケミナカタとタケミカヅチ

前記事までにおいて諏訪の縄文~古墳時代、そして金刺氏、物部守谷に関して紹介してきた。今回はタケミナカタタケミカヅチを取り上げる。次の流れで紹介していく。

建御名方神タケミナカタ
・建御雷タケミカヅチ
・タケフツ、トヨフツとは
物部伊莒弗(もののべのいろふつ)の活躍年代推定
タケミナカタタケミカヅチ
手研耳命(タギシミミ)
タケミカヅチ
・ヤタガラス
タケミカヅチの十掬の剣(とつかのつるぎ)とは

建御名方神タケミナカタ
古事記で登場し、日本書紀では登場しない神である。

建御名方神天照大御神高御産巣日神らに遣わされ、建御雷タケミカヅチと力比べ(相撲と考えられる)をする。

これに建御名方神は負け、諏訪まで逃亡したという。
そして建御名方神は追い詰められて「諏訪から出ない」と約束したとされる。

古事記において
大国主神オオクニヌシ御子神として
事代主神コトシロヌシ
建御名方神タケミナカタ
が描かれているという。

オオクニヌシは西暦300年前後でヤマトタケルに国譲りした実在の人物。
コトシロヌシオオクニヌシよりもやや時代が下る。

↓はwikipediaタケミナカタ

ja.wikipedia.org

↓相撲は神秘的に書くためのテクニックのひとつだったのだろうか

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■建御雷タケミカヅチ
葦原中国平定の説話にて登場する。

国譲りにて建御雷タケミカヅチは出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立つ。

そして十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立て、その切っ先の上に胡坐をかき、大国主神オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判を行ったという。

大国主神は、国を天津神に譲るかどうかを子に問う。
大国主神の子、事代主神は、服従したという。

同じく大国主神の子とされる建御名方神タケミナカタは建御雷神に力比べ(相撲と考えられている)を挑むがこれに負け敗走。
野国の洲羽の湖諏訪湖で降伏したという。

御雷神は
古事記では
建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)
・建御雷(たけみかづちのかみ)

別名に
・建布都神(たけふつのかみ)
・豊布都神(とよふつのかみ)

日本書紀では
武甕槌神
・武甕雷神
と表記される。

御雷タケミカヅチ)は伊都之尾羽張(イツノオハバリ)の子とされ、伊都は伊都国の伊都とも考えられる。

↓はwikipediaタケミカヅチ

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■タケフツ、トヨフツとは
タケフツ、トヨフツの「フツ」は物部伊莒弗(もののべのいろふつ)のフツとも関連が想起される。
フツはフルとも。おそらくヘブルのへを抜いた「フル」と推定される。
タケは特に筑紫国付近を指すものと考えられる。

↓はwikipedia筑紫国、旧伊都国、奴国を含む地域

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弥生時代中期の始め。
奴国のあったエリア・吉武遺跡群では武人集団がいたことがわかっている。
このエリアには須玖遺跡に奴国の「王墓」があったようだ。
同様に、雲南小路遺跡(伊都国)に王墓があったとこがわかっている。

↓は奴国と伊都国の違いについて取り上げた回

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■物部伊莒弗(もののべのいろふつ)の活躍年代推定
諏訪と関連があるとされる「物部守屋」は587年頃死没した人物。
この物部の系図の始まりが物部伊莒弗(もののべのいろふつ)である。

物部守谷以前の系統を記すと、

物部伊莒弗 - 物部目 - 物部荒山 - 物部尾輿 - 物部守屋

仮に1世代30歳ごとと試算(注:活躍の年代を推定で生没、死没年ではない)すると

・モリヤ:550年-587年
・オコシ:520年-550年
・アラヤマ:490年-520年
・メ:460年-490年
・イロフツ:430年-460年
となる。
イロフツに対し100年以上の誤差が発生するとは思えないため、
イロフツは400年代初めころの人物ではないだろうか。
↓は物部伊莒弗(もののべのいろふつ)について取り上げた回

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タケミナカタタケミカヅチ
タケミナカタタケミカヅチは事実として起こった出来事の象徴だろうか。

オオクニヌシは九州のヤマトタケルが西暦300年前後に東征した際、出雲の国譲りをした人物。そのごはおそらく東征に関わったと考えられる。
中国地方を陸路のほか、瀬戸内海ルートでも東征を行ったと考えられる。

なお事代主神はやや世代がくだるようだ。

文献や神社の由緒上のからヤマトタケルに同行したと推定される人物に

オオクニヌシ
手研耳命(たぎしみみのみこと)
タケミカヅチ(タケミカヅキ
・ヤタガラス
・弟橘姫
蘇我
らが推測される。

手研耳命(タギシミミ)
手研耳命は神武東征に従ったとされる人物。
妻に媛蹈鞴五十鈴媛命がいる。

媛蹈鞴五十鈴媛ヒメタタライスズヒメ)はイスース(イエス)に関連する音韻の入る人物である。

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タケミカヅチ
前述のとおりで、建御雷タケミカヅチ)は伊都之尾羽張(イツノオハバリ)の子であり、さらにタケフツ、トヨフツから伊都国との関連が推定される。
なお、蘇我比咩神社では「タケミカヅチ」を「タケミカヅキ」と読ませる。

月の国がシンボルとなる国から渡来した武人だったのだろう。
諏訪にも、そして千葉にも残る神を象徴的に描かれていると推測される。

↓は蘇我比咩神社について取り上げた回

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■ヤタガラス
鴨県主(カモアガタヌシ)と推定される。
鴨県主がヤタガラス八咫烏に化身し、神武天皇を導いたとされる。
ヤタガラス・賀茂氏については別回にて取り上げる。
↓はwikipedia、加茂県主氏

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タケミカヅチの十掬の剣(とつかのつるぎ)とは
トツカのツルギは日本神話に登場する剣の総称。
「十束剣」「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」とも。
様々な場面で登場するためそれぞれ別のツルギとも考えられているという。

拳10個分くらいでおよそ80cm程度の剣となる。
ことさら強調されるような神秘的な剣には思えない。
しかし、このトツカのツルギは大量(おおはかり)、別名に神度剣(かむどのつるぎ、かんどのつるぎ)がある。

この神度剣とは阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね)が持っていた十束剣(とつかのつるぎ)のことである。
このアヂスキタカヒコネも父が大国主神とされる人物である。
アヂスキタカヒコネは加茂(鴨)氏とも関係がある。

アヂスキタカヒコネとは何か。
ヤタガラスこと賀茂氏とは何か。
十束剣こと神度剣(カンドの剣)とはなにか。

次回、日本に来た騎馬民族の出自がわかる。