シン・ニホンシ

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423.行基と大僧上舎利瓶記

行基について。次の流れで紹介していく。

行基
菩提僊那(ぼだいせんな)
・猪名部百世(いなべのももよ)
行基続日本紀・773年条
・大僧上舎利瓶記とは
・大僧上舎利瓶記の内容

行基(ぎょうき)
668年~749年にかけて活動した仏教僧。

行基は24歳で受戒、その後、飛鳥寺に入ったという。

そして、14年もの間、月の半分は山林で修業、残りの半分を経典で学習を行う生活を続けたという。

40代後半から民間への布教を始めた。
行基が活動していた当時は仏教の民衆への直接の布教が禁止されていたという。
しかし、行基はそれを破り、民衆、豪族などの身分を問わず広く仏教を説いた。

これに対して行基は朝廷から弾圧を受けたが民衆から支持を得た。

740年、行基聖武天皇から東大寺盧舎那仏像の建立を依頼された。
行基はこれに協力する。

そして745年(78歳)には、日本で初めての大僧正となった。
※大僧正:僧と尼を統括するための官職。

しかし、749年、82歳で没した。

行基の没後の752年、東大寺において大仏開眼会が行われた。

菩提僊那(ぼだいせんな)東大寺大仏殿の開眼供養法会で婆羅門僧正として導師を務めた。

また開眼会では行基の弟子の景静(けいせい)が司会を果たしたという。

↓はいかす・なら、行基の82年の生涯を記したページ

www.pref.nara.jp

↓はwikipedia行基

ja.wikipedia.org

続いて、菩提僊那(ぼだいせんな)について。

菩提僊那(ぼだいせんな)
752年、東大寺大仏殿の開眼供養法会で婆羅門僧正として導師を務めた。

現在の南インド出身。
ボーディセーナ。
唐に滞在中、日本の僧からの招請を受け、736年に訪日した。

菩提僊那ほか、下記の人物が来日したとされる。
ペルシア人の李密翳(りみつえい)、役割などは不明とされる
・唐人の皇甫東朝(こうほとうちょう)、唐楽の演奏家
・林邑(りんゆう、現ベトナム僧の仏哲(ぶってつ)、林邑楽を伝えた
・唐僧の道璿(どうせん)、日本より伝戒師を委嘱された
・唐出身の袁晋卿(えんしんけい、後に音博士となった)

菩提僊那ら3人の僧は、
・5月に大宰府
・8月に難波津
・12月には行基に迎えられて平城京に入った

そして左京の大安寺に住し、時服(朝廷から衣服の資を名目として支給された禄)を与えられた。

東大寺東大寺を建立した人物に関連し、猪名部百世について。

■猪名部百世(いなべのももよ)
奈良の大仏東大寺」は、聖武天皇時代の745年8月から建立されたという。

このときの大工・棟梁が猪名部百世である。

そして少工・副棟梁は飛騨の匠の益田縄手。

猪名部は単に猪を飼っていた氏族ではなく、大工の優れた技術も持っていた氏族であったと思われる。

↓は猪名部百世(いなべのももよ)について紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

続いて、続日本紀行基に関して。

行基続日本紀・773年条
続日本紀、773年宝亀四年)の11月20日にて。
故・大僧正の行基法師について。
行基法師は持戒、修行ともに十分であり、智と徳を兼ね備えていたこと。
そして修行した院(道場)が四十余り所にわたることなどが記されている。

■大僧上舎利瓶記とは
弟子の真成が、行基の骨をおさめた銅製骨臓器瓶に師の伝記を刻んだという。

そして行基の遺骨を納めていた容器が1235年にみつかった。
外面には長文の墓誌銘が刻まれていた。

その発見時、全文が写しとられたという。
その後、戦国時代を経て兵火により容器は失われた。
現存するのは、銅筒の破片。

破片に刻まれ,た文字の内容と大僧上舎利瓶記の内容が一致し信頼におけるとする。ただし、大僧上舎利瓶記は信頼できないとする説もみられる。

■大僧上舎利瓶記の内容
大僧上舎利瓶記のその内容とは。

・俗性は高志氏
・その考(ちち)の諱は才智
・字は知法君の長子
・もと百済国の王子・王爾のすえ
・その妣(はは)は蜂田氏で諱は古爾比売、河内国大鳥郡の蜂田首虎身の長女
などが記されるという。

↓は文化遺産オンライン、墓誌断片奈良県行基墓出土)

bunka.nii.ac.jp

↓は奈良国立博物館墓誌断片(奈良県行基墓出土)、4ページにわたり紹介がある。
https://www.narahaku.go.jp/collection/p-490-0.html

<参考>
蜂田虎身 - Wikipedia
蜂田古爾比売 - Wikipedia
高志才智 - Wikipedia
李密翳 - Wikipedia
皇甫東朝 - Wikipedia
道璿 - Wikipedia
袁晋卿 - Wikipedia
大安寺 - Wikipedia