今回は蘇民将来について取り上げる。次の流れで紹介していく。
・蘇民将来(そみんしょうらい)
・祇園祭
・蘇民将来の呪符木簡
・八坂神社と夏越祭
・蘇民将来と巨旦将来(こたんしょうらい)
・考察:巨旦将来とは何か
■蘇民将来(そみんしょうらい)
各地に伝わる説話や伝承が基礎となり、災厄を払い、疫病(えきびょう)を防ぐ神として広く信仰されている。
この民間信仰の代表例が京都の祇園祭(ぎおんまつり)とされる。
今年、岩手県の黒石寺蘇民祭りがその1000年以上の歴史に幕を閉じた。
↓はNHK、岩手県の黒石寺蘇民祭りが幕を閉じたことを紹介
以下、蘇民将来に関わる範囲でのみ祇園祭を紹介。詳しくは別テーマにて。
■祇園祭
祇園祭は山鉾(やまぼこ)が有名。
山鉾は山車の一つで神社の祭礼で引かれる。
車の台の上に家や山などの作り物をし、その上に鉾や長刀などを立てた物のこと。
この山鉾では粽(ちまき)が授与される。
祇園祭のちまきは食べ物ではない。
笹の葉で作られた厄病、災難除けのお守りのこと。
↓は祇園祭り2023、粽とは
粽(ちまき)に付けられた紙の札に「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と書かれている。
また「蘇民将来」と記された御札は、主にスサノオを祀る神社で授与されている。
「蘇民将来之子孫也」と書いた札を貼っている家もあるという。
■蘇民将来の呪符木簡
長岡京にて見つかった。
長岡京跡の右京六条ニ坊六町の南辺を画する六条条間南小路北側溝から出土している。
↓は長岡京市埋蔵文化財センター、蘇民将来呪符木簡の発見
長岡京は784年に桓武天皇によって遷都され平安京に遷都されるまでの794年まで機能した都城。
↓はwikipedia、長岡京
■八坂神社と夏越祭
所在は京都府京都市東山区祇園町。
七月三十一日の夏越祭(なごしさい)には茅輪くぐりが行われ、茅輪守・粟餅の授与も行われる。
↓は八坂神社、蘇民将来の疫神社(えきじんじゃ)について
この夏越祭の茅輪(ちのわ)について。
元はユダヤ教の過越祭(すぎこしさい)、羊の「血」を柱や鴨居に塗ったものが転じたものだろう。
↓は多胡碑を紹介した際に過越祭の起源と羊について取り上げた
八坂神社の歴史的経緯としては神仏習合の際の牛頭天王、そしてルーツを追うには八柱神社が参考となる。
↓は八柱神社について取り上げた回
■蘇民将来と巨旦将来(こたんしょうらい)
蘇民将来や巨旦将来は古くは「備後風土記」などに見える。
あるとき武塔神(むとうしん)が一夜の宿を求める。
富裕な弟の巨旦は断った。
しかし貧しい兄の蘇民は粟柄(あわがら)を敷いて座席をしつらえ、そして粟飯を献じてもてなしたとされる。
↓は須佐神社、蘇民将来の紹介ページ
須佐神社 - 主行事|祭日|節分祭|蘇民将来 (そみんしょうらい)
■考察:巨旦将来とは何か
蘇民は耶蘇民、キリスト教信仰の民で間違いないだろう。蘇は蘇り(よみがえり)で、キリストの復活を意味すると思われる。
そして八坂神社は「い・やさか」の「い」を抜いたものと考えられる。
「いやさか」には「繫栄を願う」や、「ますます一層栄える」の意味がある。
この「弥栄」は「いや・さか」。
見栄えなどの「はえ」と読むと、「いや・はえ」でヤハウェ信仰を持つ人びとの祭りであった。
つまり、蘇民将来はヤソ民の繁栄を祈願した神事、祭りであっただろう。
そして「蘇民将来と巨旦将来」の「巨旦将来」にはどんな意味があるのだろうか。
おそらく出自に関するメッセージが込められているように思う。
まず秦氏は「弓月国」を出身とする。これは日本書紀の応神天皇条にも記載されている。
弓月国は中央アジア、キルギス付近にあったものと考えられている。
また、ヤマトゥという土地や、テングリ山という高山があったとされる。
一方、巨旦(コタン)について。
コタンはコットン(綿、ワタ)とも考えられる。
伊都、糸、繭などは関連するルーツからきていると思われる。
あるいは中国のホータン地区などとも関連があるのではとされる。
ホータン地区には和田市がある。和田も「ワタ」である。
ワタは古事記では海を表す言葉として用いられている。また古代の朝鮮語のpataと同義ではないかとも。
ウイグルは現在スンニ派のイスラム教徒とされる。古くは景教、つまり、原始キリスト教であったと考えられる。
ホータン王国については別回で取り上げる。
↓はwikipedia、ホータン地区
<参考>
・蘇民祭 - Wikipedia