シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

320.三重県多気郡の八柱神社(やはしらじんじゃ)

今回は八柱神社を紹介。関連する八王子神社について取り上げる。次の流れで紹介していく。

・四疋田八柱神社三重県
・四疋田八柱神社近くから出土した銅鐸
・片野八柱神社三重県
・波多瀬八柱神社三重県
・相鹿上神社(おおかがみじんじゃ)と大鹿首(おほかのおびと)
八王子神社八柱神社

■四疋田八柱神社三重県
四疋田八柱神社の所在は三重県多気多気町四疋田(たきぐんたきちょうしひきだ)

祭神はアマテラスとスサノオが天の安の河(天上界の川とされる)にて誓約を行った際に生まれた8柱の神である。

まずは宗像3女神。
タキリビメノミコト(多紀理毘賣命)
イチキシマヒメ(市寸島比賣命)
タキツヒメ(多岐津比賣命)

そして残りの5神
アメノオシホミミ(天之忍穗耳命) 
アメノホヒ天之菩卑能命) 
アマツヒコネ天津日子根命
イクツヒコネ活津日子根命
クマノクスビ熊野久須毘命
下記、3系統のユダヤ人、アシュケナジースファラディ、ミズラヒム、古事記の中のミズラ を紹介した回でも今回紹介の8神を取り上げた。
shinnihon.hatenablog.com

 

四疋田八柱神社の創始年代は不明。

延喜式に記された式内社の相鹿木大御神社ではないかとする説もある。

四疋田八柱神社では以下の神社を境内社としている。

・琴比良神社(大物主命)
・菅原神社菅原道真公)
・社宮神社猿田彦大神
・塞神社(八衢比古神、八衢比賣神、久那戸神)

がある。

塞神社の「八衢」はやちまたと読む。

神道祭祀の1つに道饗祭(みちあえのまつり、ちあえのまつり)がある。

この神事にて
・八衢比古神(やちまたひこのかみ)
・八衢比売神(やちまたひめのかみ)
・久那斗神(くなどのかみ)
の3柱を祀る。
都や京の城などの化け物の侵入を防ぎ、守護してもらう祈願のための神事とされる。

なお、四疋田の地名について。
古代に「条里制」という耕地を碁盤の目のように区画し、番号をつけて位置を表すようにしていた。多気郡条里制の十六条目にあった「四疋田里」の名残とされる。

この地には銅鐸が出土している。
↓はgooglemap、八柱神社(四疋田)

maps.app.goo.gl

■四疋田八柱神社近くから出土した銅鐸
上記の八柱神社参道入口の脇に石碑がある。
弥生時代の銅鐸が出土している。
出土した場所からは道路敷設のため移動したとされる。
現在、銅鐸の所在は不明のようす。
↓googlemap、伝銅鐸出土地

maps.app.goo.gl

■片野八柱神社三重県
四疋田の八柱神社以外にも場所の異なる八柱神社が存在する。

下記は多気多気町片野の八柱神社
龍神事が行われる。

龍神事はスサノオヤマタノオロチを退治した出雲の神話を象徴化したものとされる。

また、神事は神社創建当時(1517年)から奉納されてきたものとされる。
↓は観光三重、片野の八柱神社

www.kankomie.or.jp
↓はgooglemap、多気多気町片野の八柱神社

maps.app.goo.gl

■波多瀬八柱神社三重県
波多瀬という地にも八柱神社が存在する。

主祭神は天之忍穂耳命とされている。
YOUTUBEで紹介されている方がいる(下記で紹介)

ホドの名残と考えられる岩がある。
とすれば、古墳時代より前に渡来したユダヤ人の信仰だったのだろうか。
↓googlemap、波多瀬八柱神社

maps.app.goo.gl

YOUTUBE、波多瀬八柱神社、1:08秒~と1:18秒~にホドと思わしき岩あり

www.youtube.com

ほか、八柱神社
兵庫県丹波市青垣町(1673年創建)
・愛知県岡崎市欠町石ヶ崎
などがある。

■相鹿上神社(おおかがみじんじゃ)と大鹿首(おほかのおびと)
所在は三重県多気多気町相可。
創建は不明だが、西暦927年の延喜式神名帳に記載のある式内社である。

上代から平安時代にかけて

・大鹿首(おほかのおびと)
という氏族が支配していたとされる。

主催神は天児屋命(あめのこやねのみこと)

相鹿上神社はもともとは式内社

・「伊蘇上神社」
であった。しかし明治時代に相鹿上神社が移り、合祀されて「相鹿上神社」となっていった過程があるようだ。

なお、天児屋命は中臣氏や藤原氏の祖神とされる。
そのほか、

大鹿島命(おおしかまのみこと)

を祀る。

天児屋命は通称、
春日神
春日権現(かすがごんげん)
・春日大明神

とも。

奈良・春日大社御神体はシカ。
↓は三重県神社庁教化委員会、
三重県神社庁教化委員会 » 相鹿上神社

八王子神社八柱神社
八王子神社(東京)スサノオ牛頭天王の八柱の御子神八王子権現を祀る。
八王子宮、八柱神社(やはしらじんじゃ)などとも言う。

牛頭天王は日本における神仏習合の神。

頗梨采女(はりさいじょ、はりさいにょとの間に8人の子(八王子)がいるとされる。
これを祀ったのが八王子神社とされる。

八王子は八将神をまつっていた。
しかし、明治の神仏分離で先述のスサノオ天照大神との誓約で生まれた五男三女神に変更された。
↓は八王子神社(東京)

ja.wikipedia.org

↓は神仏習合から神仏分離を紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

■感想
伊勢神宮以外にも三重に古代の信仰が眠っている

多気郡にはシカに関する信仰が残る

・波多瀬八柱神社には女陰(ホド)と思われる磐座(いわくら)があるのでは

・磐座(いわくら)と岩倉(いわくら)は同じ意味、1825年生まれの政治家は?

・八柱のローマ字はyahasiraとすればyaha-sira。
 siraをアナグラムするとisra。
 あわせるとヤハ(ウェ)、イスラとなる。

大鹿首については別回にて紹介予定。

<参考>
道饗祭 - Wikipedia
岩倉 - Wikipedia
三重県 多気町 条里制と地名の話 https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000055259.pdf