天智天皇・即位7年、越の国から燃える水、燃える土が献上される。次の流れで紹介していく。
・天智天皇・即位7年の越の国からの献上された石油
・越の国
・石油を献上した土地はどこか
・城の山古墳(じょうのやまこふん)
・阿倍比羅夫(あべのひらふ)
・まとめ
■天智天皇・即位7年の越の国からの献上された石油
天智天皇・即位7年は668年。
白村江の戦いは天智2年の8月(663年10月)にあたる。
越の国が燃土(もゆるつち)と燃水(もゆるみづ)とを献る(たてまつる)。
とある。
燃水は石油と考えられている。
一方、燃土は天然アスファルトではないかと考えられている。
例えば、秋田県秋田市の潟上市の豊川地区では出土したアスファルトが既に縄文時代に東日本、そして北海道にまで流通していたとされる。
■越の国
かつては高志国とも。
現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に該当する地域。
新潟を含む。
689年~692年、大宝律令による令制国の設置に伴って越前国、越中国、越後国に三分割された。
のち、次の分立があった
・越前国より能登国、加賀国が分立
・越後国の出羽郡が出羽国として分立
↓はwikipedia、越国
■石油を献上した土地はどこか
燃える水・石油はクソウズ(臭生水)と呼ばれていた。
新潟県内における石油の産出地はいくつかあるため候補地がいくつかある。
しかし、当時の歴史や地政学的な観点から新潟県胎内市黒川周辺ではないかとされる。
↓はにいがた観光ナビ、黒川地区では日本書紀の記述に基づき黒川燃水祭が行われているという
胎内市には次の古墳がある。
■城の山古墳(じょうのやまこふん)
所在は新潟県胎内市。
築造は4世紀前半。
形式は円墳。
大きさは東西41m、南北35mで楕円形。
被葬者は舟木木棺内に被葬されていた。
棺周辺部に赤色の顔料が大量に用いられているという。
出土品に以下のものがみられる。
・玉製品
翡翠製勾玉:1点
緑色凝灰岩製管玉:8点
硝子製小玉:113点
・金属製品
大刀:1点
槍もしくは剣:1点
鉄製刀子:1点
やりがんな:1点
鉄斧:2点
銅鏡:1面
有稜系柳葉形銅鏃:6点
・ほか
弓:2張
靫:1点
など
出典:城の山古墳第6次調査報告
https://www.city.tainai.niigata.jp/kurashi/kyoiku/bunkazai/documents/jyounoyamakofun.pdf
7世紀中期の将軍に阿倍比羅夫がいる。
斉明天皇4年の658年から3年間、日本海側を北へ航海、蝦夷を服属させ、東北以北において粛慎(みしはせ)と交戦したとされる。
大化5年の649年に左大臣・阿倍内麻呂が没した。
これにより阿倍氏の宗家が絶えた。
しかし阿倍比羅夫は傍系であるが阿倍氏の最有力者として氏の長者的な地位に就いたのではないかと想定されているという。
・阿倍比羅夫は7世紀中期の将軍、越国守、後将軍、大宰帥を歴任した