シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

179.周溝墓から弥生時代前期がわかる

前記事で「古墳時代」という時代区分は纏向の箸墓古墳を基準に定義されていることを紹介した。今回は墓制である「周溝墓」に着目し、弥生時代の謎に迫る。現在弥生時代は500年程度さかのぼることが知られている。すると旧来の定義の「紀元前300年頃」には何…

178.箸墓古墳より早い221年~240年頃から始まる纏向型前方後円墳の時代

箸墓古墳はおおよそ250年頃の建造とされる。実はこれより早い大型の古墳が纏向内に複数存在する。箸墓古墳を含めた221年頃~300年頃までの纏向型古墳を6つ紹介する。また同じく古い西殿塚古墳(天理市)、その近くの東殿塚古墳の土器に刻まれたゴンドラ船の…

177.倭の五王の称号から秦氏の「秦韓国」の存在を確認する

朝鮮史における三国時代では、朝鮮半島と満州地域にて高句麗、百済、新羅の三国が鼎立した状態となる。しかし実際はこれら3国だけが存在していたわけではない。時代や地域をわけるとより多くの国名(地域)が存在する。ここでは歴史の中に埋もれていった「秦…

176.魏志倭人伝と卑弥呼の時代:遣使の登場人物と卑弥呼の死亡の経緯編

前記事に続き魏志倭人伝の内容から、今回は遣使時の登場人物や朝貢した物、もらった物などを時系列で紹介することで当時の倭国の様子を具体化する。 注:魏志倭人伝など中国の史書は古く、また他国の人の見方で書いており、全てが正しいとは限らない。■238年…

175.魏志倭人伝と卑弥呼の時代:倭国大乱と人物関係編

卑弥呼の遣使によって中国の史書に記録が残っている。今回は魏志倭人伝の内容をベース、そのほかの知見をふまえながら当時の倭国の様子、倭国大乱、そして天皇の系図に登場する人物と関連を検証していく。注:魏志倭人伝など中国の史書は古く、また他国の人…

174.シン・古代日本史まとめ

古代日本にいったい何が起きていたか。ここまでの記事を元としてまとめを行う。DNA、世界規模での火山の噴火での視点は他の研究に見られないと思われる。次記事以降でここまでの情報をもとに新たな見かたや価値観を提示しつつに積み上げしていきたい。 ■DNA…

173.伽耶琴(カヤグム)と楽師の于勒

ここでは伽耶の琴を紹介、かつて伽耶が存在していたことをより具体化する。■伽耶(または加羅)1世紀~6世紀にかけて存在していた連盟のような国々。主に現地の倭人が調をとるなどし緩やかに治めていたと思われる。新羅が532年に南部の金官国を、562年には洛…

172.ウルのジッグラト、サウジアラビアのペンダント型「葬送の路」、條ウル神古墳

日本の古墳は渡来人がもたらした技術である。そのためルーツやバックボーンを理解するには視野を世界に広げる必要がある。ここではメソポタミアのウルのジッグラト、サウジアラビアで発見されたペンダント型「葬送の路」、そして奈良県の條ウル神古墳を紹介…

171.古代朝鮮における歴史と任那復興会議~渡来系倭人のヒミツ~

今回は「任那復興会議」を切り口として、古代の朝鮮半島における歴史をみていく。新羅、高句麗、百済、伽耶、そして大和朝廷の5者の動きを歴史の流れで追うことで理解を深める。渡来系倭人についての歴史にもふれる。。 ■各国の建国史新羅、高句麗、百済、…

170.済州島・耽羅国の三姓神話と遣使による日本との関係~三神人の名前から現れるヤコブの名前~

ここでは、かつて存在した耽羅国(現:済州島)をテーマとし、古代日本を探っていく。三神人の名前の秘密を発見した。 ■耽羅(たんら)韓国語ではタムナ、タンモラ、トゥルラなどとも。済州はチェジュと発音する。朝鮮半島の南西、日本海、東シナ海、黄海の…

169.新羅との532年以後の遣使による関係

日本にとっては新羅とは、任那を奪われたり、白村江の戦いで破られた相手である。そのため古代においてはある時から敵国となっていたかのようなイメージがある。しかしそれは一面的な見方であって、新羅との関係が遣使を通じて続いていた。 ■任那や白村江の…

168.渤海国と日本の交易

高句麗の後継となった「渤海国」との交易ルートを探る。歴史を学びつつ、古代日本における日本海側、特に敦賀の可能性を探る。■白村江の戦い百済遺民の鬼室福信(きしつふくしん、扶余福信とも)から第37代斉明天皇(※)は救援要請を受ける。扶余豊璋、上毛…

167.魏志倭人伝の陳寿のルートから邪馬台国は熊本、隋書の秦王国は豊前国

秦王国を特定したい。そこで、まず邪馬台国を特定する。次に、得られた情報を元にして「秦王国」を推定する。※秦王国の推定部分はオリジナルです ■はじめに・予備知識・「隋書(ずいしょ)」:7世紀に魏徴(ぎちょう)らが編纂した中国の歴史書。陳寿が邪馬…

166.水田稲作の拡散状況から再定義する「弥生時代」の始まり

記事「154.」福岡県の板付遺跡を紹介した。板付遺跡は2400年前の弥生時代の集落遺跡であった。一方、水田稲作そのものはいつ頃渡来したのだろう。今回は「水田稲作の渡来」を知ることで、より古代に何が起こっていたかが推測できるようになる。 ※藤尾慎一郎…

165.古代東アジアの牛に関する信仰:扶余族、新羅、古志の国など

今回は「牛」をテーマに世界(東アジア)における古代の信仰を探る。扶余族、新羅、古代日本の古志、敦賀、太秦などで牛に関する信仰があることがわかる。■扶余国満州の辺境エリア「濊(わい)」にかつて存在していた国。濊に到達した扶余族はそののちに扶余…

164.吉備の乱と磐井の乱

ここでは古代の有力な地方で起きた中央省庁への反乱をテーマとし、「吉備氏の乱」と「磐井の乱」を紹介する。2つの乱はなぜ起きたかがわかる。■2つの乱が起きた背景この2つの乱は吉備と筑紫で起きた2つの力をもっていた古代の国家の反乱である。大和朝廷…

163.大国主命の国譲り神話と荒神谷遺跡

今回は「大国主命」をキーワードとし、荒神谷遺跡や国譲り神話、そしてスサノオとのつながりや水とつながる竜宮界を紹介する。※本記事は通説と異なる内容を含みます ■荒神谷遺跡で見つかった358本の銅剣島根県の東部に荒神谷遺跡はある。1983年の調査で発見…

162.日本の都と遷都の歴史

前回は桓武天皇をキーワードとし、平安京への遷都に触れた。今回は「遷都」を取り上げ、日本の歴史を探る。農耕型の定住社会を経験したのちより人口を増やし発展していくには「都市」の建設が必要となる。■都市の建設や遷都にかかわる要素ヒト、モノ、カネと…

161.桓武天皇にまつわる日本と百済の血縁関係

日本の現在の皇室は百済王族と血縁関係がある。今回は「桓武天皇」に着目し、日本と百済の関係性を探る。 ■日本と百済の友好関係百済から倭に対して七支刀が贈られたその年代は腆支王(在位:405年 - 414年)の時代、394年と考えられる。腆支王は倭人の八須夫…

160.五重の塔はインドの五大元素の象徴~百済・扶餘郡の五重石塔と斑鳩の法隆寺塔~

今回は「五重塔」をテーマに、百済の五重石塔、そして日本の世界最古の木造五重塔、法隆寺塔を紹介する。五重塔にはインドの仏教をベースとした5代元素の思想、宇宙観が表現されていることがわかる。■扶余 定林寺址 五層石塔忠清南道 扶余郡 にある定林寺址…

159.百済の軍事史と滅亡まで

今回は百済の軍事、外交史をテーマとし、時代は百済から日本に対して七支刀を贈った400年以降から百済滅亡となる660年までの主な歴史を紹介する。倭の五王の中国への遣使タイミングなどが朝鮮半島における歴史と重ねてみることでその意味がある程度わかるよ…

158.百済で官僚になった倭人たち

今回は「百済の官僚」をテーマに、倭系の百済官僚たちを紹介する。彼らを知ることは、古代に日本と朝鮮において何が起きていたかをより詳細に知る手がかりとなるはずだ。※主にwikipediaを参考とし、まとめを行わせて頂いた。 ■倭人の官僚の活躍時期百済にお…

157.法興寺(飛鳥寺)の建設に関わった百済から来たイラン系の職人たち

今回は日本最初の本格的な寺院である法興寺(飛鳥寺)の建設時、日本は百済から技術者たちを呼んできた。百済から来ていたペルシア人(イラン人)たちを紹介する。 ■法興寺(飛鳥寺)588年、百済から仏舎利(入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨)が献じら…

156.ローマ文化の影響を受けた新羅、新羅に到達していたアラブ人

新羅とはなんだったか。ローマ文化の影響、扶余族の建国、出雲やスサノオとの関連性を含めて紹介する。 ■「ローマ文化王国ー新羅」の歴史的意義「ローマ文化王国ー新羅」は由水常雄氏の著作で2001年に発刊された。ガラス工芸の研究家である由水氏は「ローマ…

155.古代中国や朝鮮からの渡来:辰孫王、王仁、阿智王、安貴公

3世紀初頭~7世紀初頭にかけては中国、朝鮮(日本含む)とも動乱が起こり、それから逃れるために日本に渡来した人々も多かった。朝鮮または中国に出自を持つ方々で応神天皇、雄略天皇の時代に渡来したとされる、辰孫王、阿知使主、王仁博士と安貴公を紹介す…

154.日本最古の稲作集落の跡のひとつ板付遺跡とその土木技術

北部九州への理解が古代のナゾを解く手がかりとなると思われる。縄文から弥生への変遷のひとつの手がかりとなる「板付遺跡」を紹介する。次の流れで紹介していく。 ・板付遺跡・板付遺跡公園と板付遺跡弥生館・どのような遺跡か ■板付遺跡板付遺跡は福岡県福…

153.隋書倭国伝:阿毎多利思比孤、倭国へのルート、秦王国とは

前記事では伊都国や奴国について触れ、魏志倭人伝の中の邪馬台国を目指すルートの中において伊都国、奴国が登場した。今度は隋書倭国伝における「阿毎多利思比孤」、「裴世清のたどったルート」「秦王国」を紹介する。■魏志倭人伝中国の『三国志』中の「魏書…

152.漢委奴国王の印で示された国は奴国か、それとも委奴国か

57年に後漢の光武帝が倭の奴国王に授けたとされる金印。金印に刻まれた名前の国はいったい何を意味するのだろうか。■金印には何が刻まれているのか教科書などでは中国の皇帝から倭の奴国王に金印が授けられたと紹介される。まず金印には何と書いてあるだろう…

151.支石墓の古代朝鮮・北九州での分布、石室が露出した石舞台古墳、八幡山古墳

本記事では「支石墓」に着目し、主にペルシャ方面からの民族が韓国、日本の長崎にまでその埋葬文化をもらたした可能性があるのかを考える。■支石墓支石墓はドルメンともいう。数本の支柱となる石柱の上に平たい主石を載せた埋葬のためのお墓。遺体は甕棺(か…

150.漢王朝時に開封市にまで到達していたユダヤ人

ここではユダヤ人コミュニティを形成された中国の開封市の例を紹介する。漢王朝時代にはインド経由でユダヤ人が少なくとも開封市まで到達していたようだ。■開封市(かいほうし)中国河南省開封市。戦国時代の魏(紀元前403年 - 紀元前225年)の時代の「大梁…