シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

161.桓武天皇にまつわる日本と百済の血縁関係

日本の現在の皇室は百済王族と血縁関係がある。今回は「桓武天皇」に着目し、日本と百済の関係性を探る。

■日本と百済の友好関係
百済から倭に対して七支刀が贈られたその年代は腆支王(在位:405年 - 414年)の時代、394年と考えられる。腆支王は倭人の八須夫人と結婚、久尓辛王が生まれたと考えられる(ただし定説にはなっていない)。それを祝したものが七支刀と考えられる。
以下、本ブログ「147.七枝刀に象徴される古代日本と百済の関係」より再掲↓

腆支王は百済の第18代の王。倭国の女性、八須夫人と結婚した。子供として久尓辛王(くにしんおう)が生まれ、のちに百済の第19代王となった。韓国の建国大学、古代史学者の洪性和らによると、百済から倭王へ七支刀が贈られた理由は、この百済人と倭人の間に子供が生まれたことを祝したものではないかとされる。腆支王は394年に太子となったのち、397年に倭国に人質として派遣された。人質といっても幼少期に日本に送られたものであり、実際は太子の保護あるいは同盟のための外交政策の一環とみなすのが妥当と考えられる。

桓武天皇
日本の第50代天皇。生没年は737年- 806年。平城京から長岡京への遷都、長岡京から平安京への遷都などを行った。平安京への遷都後は、平安京は794年から1869年まで1000年以上にわたって日本の首都であり続けた。

高野新笠(たかののにいがさ)
高野新笠桓武天皇の生母である。父は和乙継(やまとのおとつぐ)。先祖は百済武寧王である。百済の夫餘氏の子孫で、和氏の史姓を持つ。母は土師真妹(はじのまいも)、宿禰(すくね)姓を持つ。

以下、武寧王、東城王、昆支王と遡りながら日本との関係を見る。

武寧王
百済の第25代の王。桓武天皇の生母、高野新笠の先祖。在位は502年 - 523年とされる。東城王(とうじょうおう、生年不詳 - 501年)の第2子にあたる。

■東城王
百済の第24代王。在位は479年 - 501年。昆支王が父。

■昆支王(こんきおう)
百済の王族。東城王の父にあたる。生年は不明~ 477年。「日本書紀」によると昆支王は雄略天皇5年(461年)、兄の第21代百済の王・蓋鹵王(がいろおう、?- 475年)によって日本に人質として献上され、日本への渡来経験を持つ。

■参考①:天皇陛下の高麗神社への訪問
天皇陛下高句麗と関連のある高麗神社を訪問された。高句麗は668年滅亡後、武蔵国(埼玉県)に高麗郡を設けた。以下は高麗1300より↓
【高麗郡情報】天皇陛下と雅子さま ご成婚30周年の写真展を、高麗神社で開催 4/12(水)~24(月) | 高麗1300

■参考②:韓国とのゆかり発言
桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると「続日本紀」に記されている。このためため韓国とのゆかりを感じているとの公式発言なされた。※平成13年当時
以下は宮内庁のHPより↓
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

■まとめ
・日本は百済と外交的、皇室の血縁的にも強いつながりを持つ

■感想
・今回は百済を取り上げているが「新羅」とも深い関係がある。また、民族的には先住民となる縄文人が、中国、新羅百済高句麗渤海などからの渡来や亡命を受け入れてきた歴史がある。過去、日本は国際色豊かな国であったのだ。

■これまでのまとめ
ヤマトタケルの東征が3世紀末~4世紀初めころ
倭の五王(賛、珍、済、興、武)の中国への遣使が421年~502年にかけて
・昆支王(日本への人質的渡来あり)の生年は不明~ 477年
・昆支王の後、東城王、武寧王と王が続き、高野新笠武寧王の子孫
倭人百済官僚の出現期は540年代~580年代
百済滅亡が660年、白村江の戦いが663年、高句麗滅亡が668年
桓武天皇(第50代天皇、生没年は737年-806年)の生母が高野新笠

<参考>
桓武天皇 - Wikipedia
高野新笠 - Wikipedia
腆支王 - Wikipedia
東城王 - Wikipedia
武寧王 - Wikipedia
昆支王 - Wikipedia