シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

246.坂本臣の祖、根使臣は百済の昆支王と同一人物か

雄略天皇の妻探しの際に登場した根使主(ねのおみ)。この根使主が昆支王(こんきおう)ではないかとする説がある。次の流れで紹介していく。
・根使主(ねのおみ)
・昆支王(こんきおう)
・昆支王が埋葬された可能性のある古墳
・まとめ

■根使主(ねのおみ)
プロフィールを紹介する。
・生没年:生年不明 ~ 推定470年とされている
・坂本臣(おみ)の祖にあたる
日本書紀では次の内容が描かれている。

安康天皇が雄略(大泊瀬皇子)のために、大草香皇子(おおくさかのみこ)の妹の草香幡梭姫皇女(くさかのはたびひめのひめみこ)をめとらせようとしたときのこと。その際、安康天皇が使者として根使主を大草香皇子のもとへ遣わした。このとき大草香皇子が押木珠縵(おしきのたまかづら)を捧げようと根使主に渡した。根使主は押木珠縵をみて麗しさに誘惑され、偽って自分のものとしてしまった。

↓過去記事で安康天皇、根使主と押木珠縵の登場回

shinnihon.hatenablog.com

↓過去記事でその後、大草香皇子の疑いが晴れたことを紹介

shinnihon.hatenablog.com

■昆支王(こんきおう)
プロフィールを紹介する。
・生没年:生年不明 ~477年。
雄略天皇5年(461年)、日本に人質として献上された。
・「三国史記」では昆支は百済へ帰って亡くなったと記されている。
・一方の日本書紀では次の内容が描かれている。

雄略即位4年、百済の蓋鹵王(がいろおう)は弟の昆支王(こんきおう、軍君・こにきし)を派遣した。蓋鹵王は軍君に「日本に行って天皇に仕えて来なさい」と命じた。その際にすでに身ごもっていた女性を軍君に与えたため、筑紫の各羅嶋(かからのしま)にて子が生まれた。嶋君(せきまし)と名付けられ、のちの武寧王となる。

武寧王(ぶねいおう)は百済の第25代の王。武寧王の生没年は 462年~523年。在位は502年~523年。物語上は武寧王は蓋鹵王の子とされているが、実際は昆支王の子ではないかと考えられている。
↓過去記事より、雄略天皇、昆支王の登場回

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■昆支王が埋葬された可能性のある古墳
高井田山古墳(たかいだやまこふん)の所在は大阪府柏原市安堂町。
被葬者は不明。ただし昆支王ではないかとする説がある。
埋葬形態や副葬品から王族クラスの人物と想定されている。
・埋葬形態:夫婦合葬である
・石室:横穴式石室。百済の石室に酷似。
・副葬品:石室内に土器の副葬がある。ひのしなどの副葬品がみられる。
・参考①:大阪府橿原市のHPより
 昆支は百済に帰らず、日本にいたのではないかとする説が紹介されている。
 安宿郡の古墳と寺院~10~ | 大阪府柏原市
・参考②:wikipediaより
 高井田山古墳 - Wikipedia

■まとめ
・根使と昆支は読み方が違うが漢字の音読みでは同じ
・時代について
 同時代の人物である。
 根使主(ねのおみ)の生没年は生年不明 ~ 推定470年。
 昆支王(こんきおう)の生没年は生年不明 ~477年。
・昆支王は人質として倭国に来ていた。同盟のような関係だろうか。
日本書紀で昆支王は渡来後の活躍などが記されていない。
日本書紀で根使主は描かれている。
高井田山古墳の被葬者は不明だが百済の王族クラスの被葬者、夫婦合葬がなされている。