2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧
開国後、1859年7月から横浜、長崎、箱館の3港で自由貿易が開始される。しかし貿易の発展が国内経済に大きな影響を与え庶民や武士たちに不満が高まる。結果、攘夷運動から倒幕運動へと転じていくことになる。 ■日本と欧米の金銀通貨の交換比率の違いで金貨が…
ペリー来航によって日本は日米修好通商条約を結ぶことになる。そこに至った背景はどのようなものだっただろうか。清とイギリス、フランスとの戦争、そして日本とアメリカとの関係を見ていく。 ■イギリスと清のアヘン戦争(1839-1842) ヨーロッパ諸国は産業革…
キリスト教や教皇の力が弱まっていく中で、国王の力が強まって絶対王政が敷かれていきました。そのような中で国王の権利を制限し、議会を発達させていく政治基盤がつくられます。また新たな発明、新技術によって経済や社会が大きく変わります。近代革命、産…
16~17世紀のヨーロッパでの大航海時代の進展し、貨幣経済が発達、銃などの火器が発達していく中で、世界市場で大量の銀が必要となます。そして共通通貨として銀がその役割を果たします。宣教師・ザビエルは日本のことを「銀の島」と書簡に記しるているほど…
大航海時代を迎えたスペインやポルトガル。新興国となるオランダ、そしてイギリス。日本は当時の覇権国の影響を、宗教や貿易を通じてことごとく影響を受けていくことになる。 ■ヨーロッパは絶対王政、植民地争奪戦へ大航海時代以後、ヨーロッパは絶対王政、…
江戸時代に、日本史上、最大規模の一揆となった「島原の乱」。これほどまでに大きな一揆となった背景にはどのようなことがあったのでしょうか。戦国時代~江戸時代初期におけるスペイン・ポルトガルとの貿易と、キリスト教の歴史を、流れでみていきます。■バ…
ここでは、秀吉の朝鮮出兵をキーワードとして、朱子学や陶磁器技術の発達についてとりあげる。■秀吉の朝鮮出兵教科書では年号や出兵したという事実程度のことしか紹介されていないように思う。実際はどんなことがあったのだろうか。信長の死後、家臣であった…
ここではキリスト教や活版技術により日本に大きな影響を与えた、ヨーロッパのルネサンス期についてとりあげる。■ルネサンスとはルネサンスは「文芸復興」と訳される。言葉の意味からすれば、下火であった芸術や文学が、再び勢いを増したのだろうかと思うが、…
日本では16世紀、1500年代後半からキリスト教が受け入れられていく。神道や仏教もあったのに、なぜさらにキリスト教を受け入れることができたのだろうか。■なぜ日本はキリスト教を受け入れることができたのかユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教です。…
キリスト教の伝来の話があっさりしすぎて頭に残っていない。教科書だと、鉄砲が来た、ザビエルが来た。今まで僧侶が中国に行ってたけど、今回は子供がヨーロッパ行った。そんな紹介に過ぎなかったと思うのですが、実は、奥深い背景、そして世界史と大きくつ…
レオナルドダヴィンチの絵として有名な”モナリザ”。実は衝撃的な隠し絵が存在しています。皆さま、ご存じでしょうか?※英訳対応中■ダヴィンチの作品ダヴィンチはおよそ13点の絵画を残しています。真偽が定かではないものも含めれば13~16点存在しています。…
応仁の乱はなぜ起こったのだろう。また同じ時期、ヨーロッパはなぜ大航海時代へと突入していったのだろうか。 ■応仁の乱まずは日本、応仁の乱から。室町時代の封建制度は「守護大名」が領地を治める形が主流だった。南北時代に幕府から任命された守護は、次…
三種の神器とは何か。そしてその三種の神器の保有を持って天皇の正当性を主張した天皇、がいた。■三種の神器2019年4月30日、平成の天皇・明仁さまより、徳人さまに皇位継承が行われ、2019年5月1日、令和の天皇が誕生した。その際、三種の神器も引き継がれ、…
鎌倉時代の二度の蒙古襲来、日本を救った暴風雨とは。■フビライ=ハンの海外への意欲的な野心モンゴル5代皇帝のフビライ=ハンは1264年、大都(現・北京)都を移したのち、1271年に国号を大元と改称します。これで政治的中心がモンゴルから中国へと移ります。…
平安時代末期以降、戦乱が続き、飢饉や災害も発生。人々の不安が高まっていました。そのような中で新たな仏教改革が行われ、庶民のための仏教が生まれていった。■鎌倉時代鎌倉時代は1185年 – 1333年、幕府が鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に置かれていた時代。…
奈良時代に伝わった仏教は中国の学問仏教であり、南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)は、現在の大学の専門科のように、学問コースとしてわかれていました。また、都にいる権力者や政治と強い関りをもっていました。■空海のおいたち空…
奈良時代、三宝の完成を目指し、大和朝廷は僧を求めて遣唐使を送りました。その期待に応え、753年、日本に来てくださったのが「鑑真」です。■三宝とは538年に百済から仏教が伝来、603年に冠位十二階が制定され、三宝を敬うことが定められていました。三宝と…
飛鳥時代、聖徳太子により「冠位十二階」が制定されます。この冠位十二階がもたらした意義を見ていく。■蘇我氏と仏教の伝来6世紀頃、蘇我氏は渡来人の知識や技術を利用しながら、政治への影響力を強めていきました。538年には百済から仏教が伝えられ、その6…
ここまで土偶、土器、埴輪、古墳などをとりあげてきた。もうひとつ、よく出土されている道具、「銅鐸」がある。■銅鐸教科書でさびた感じの銅の、小さな鐘のようなイメージがありますが、それが銅鐸です。この銅鐸は発掘時はさびているため、本来はもっとピカ…
秦氏とは何だろうか。何をした人たちだろうか?■秦氏の渡来第15代、応神天皇(在位:270年~310年頃)の時代、秦氏が渡来したとされる。秦氏は高度な技術、経済力を持っていたとされる。彼らの技術を借りながら古墳を建造していったと考えられる。■日本書記…
まず、日本人の起源とはどこにあるのか。それを遺伝子によって解明しようという研究が行われている。どのような結果だろうか。■解析方法のアプロ―チ解析方法として3つのアプローチがある。1つはミトコンドリア遺伝子を調べるというもの。2つめはY染色体を…
ここでは、日本人の受け入れて消化し1を10にする力とは。その歴史を4つ紹介します。■西洋人の0から1をつくる力西洋の人は、何もないところから研究、発明を重ねてつくる力に優れており、0を1にする力に優れていると言われています。例えば1760年頃に始まっ…
埴輪というとかつてNHKで放映されていた「おーい!はに丸」を思い出します。さてその埴輪とは何か、そしてユダヤ人埴輪というものが存在するのだが、これは何を示すのだろうか。■埴輪埴輪は、3世紀後半~6世紀後半(200年代後半~500年代後半)にかけてつく…
世界最古の土器は、青森県大平山元遺跡で発掘された縄文土器で1万6000年前のものらしい。これは相谷土偶などとの出土時期とも重なる。土器には分類として縄文土器、弥生土器があり、それらの形や使われ方をみると、変化がみられることがわかる。■縄文土器縄…
縄文時代の土偶とは不思議な形をしている。実はその土偶、当時の食べ物や植物を表したタイプの土偶もあるという。この記事では土偶の謎に迫る。 土偶 ■土偶の出土数各時代における土偶の出土数は次の通り。・草創期:1万6500年前~1万1500年前頃は3点・早期…
日本人のルーツとはなんなのだろうか。とても不思議な民族である。縄文時代に栄えていた痕跡はあるが、文字がないため記録がない。一方で邪馬台国がどこになったのかという謎や、天皇の歴史について深い謎が隠されています。当ブログではそれらを調査し、報…
邪馬台国はどこにあったのだろう。九州か、それとも畿内(主に奈良)にあったのか、そのいずれにあったのかという論争がある。 ■魏志倭人伝など従来の根拠「魏志倭人伝」に倭国の記述がある。「方角」を重視すると九州説。「距離」を重視すると畿内。魏志倭…
古事記や日本書紀、聞いたことはある。習ったはず。だけど、なんだか思い出せない。そんな人のために、成立した年代と、その編纂された目的を復習する。■古事記と日本書紀の成立いずれも8世紀のはじめ、700年代の成立。古事記は712年、日本書紀は720年に成立…