日本のミツバチの飼育、養蜂の起源を紹介する。そしてスズメバチの当て字・胡蜂、そしてハチつながりにて聖徳太子の従兄弟とされる蜂子皇子を取り上げる。次の流れで紹介していく。
・世界に残る蜂の歴史
・日本での蜜蜂の起源
・胡蜂とスズメバチ
・蜂子皇子(はちのこのおうじ)
・蜂子皇子と出羽三山
・蜂子皇子とヤタガラス
・まとめ
■世界に残る蜂の歴史
蜂に関する歴史にはいくつかあるが、
・アラ二ア洞窟の壁画
・アリスタイオスによるミツバチの巣箱
・古代ローマの時代の編み藁製の巣箱
を紹介。
アラ二ア洞窟の壁画:
アラ二ア洞窟の所在はスペインのバレンシア州ビコルプ。
先史代(紀元前9000年~紀元前1400年)の人びとが利用していたという。
ヤギ刈りを描いた絵、女性がミツバチから蜜を採取する絵が描かれているという。
アラニャ、アラーニャはスペイン語でクモを意味するという。
↓はwikipedia、アラ二ア洞窟
アリスタイオスによるミツバチの巣箱の発明:
ギリシャ神話にアリスタイオスという人物がいる。
アポロンとキュレネの子とされる。
ミツバチの巣箱をつくり養蜂の技術を発明したとされている。
古代ローマの時代の編み藁製の巣箱:
ステップ地方の遊牧民が編み藁製の巣箱を考案。
持ち運びに便利であり、西ヨーロッパにまで広まったという。
■日本での蜜蜂の起源
日本書紀、皇極天皇二年の是歳にて、百済の扶余豊璋が三輪山にミツバチを放ち、飼育しようと試みた記述がみられる。これが日本における養蜂の起源と考えられている。
是歳、百済の太子余豊(こんきしよほう)、蜜蜂の房(す)四枚(よつ)を以って三輪山に放ち、養(か)う。
しかしうして終(つ)いに蕃息(うまは)らず。
以下、ハチにまつわる話を取り上げる。
■胡蜂とスズメバチ
胡蜂、あるいは雀蜂と書いてスズメバチと読む。
スズメバチを雀蜂としたのは模様が雀に似ていたからだろうか。
一方、なぜ「胡」と書いて雀と読ませたかのだろうか。
それについてはわかっていない。
中国では初めは北方のちに西方の異民族を「胡」と呼んだ。
胡のもともとの意味は「あごひげが長い人」であるという。
そもそも「胡」は古い・フルと月・ツキの文字から成り立っている。
つづいて、蜂子皇子を紹介。
■蜂子皇子(はちのこのおうじ)
蜂子皇子は562年(?)~641年の人物。
父は崇峻天皇(在位:587年~592年)。
母は大伴小手子。
聖徳太子とは従兄弟の関係にあたる。
崇峻天皇はの諱は泊瀬部(はつせべ)。
古事記では長谷部若雀天皇(はつせべのわかささぎのすめらみこと)とされる。
崇峻天皇に「雀」の文字がみられる。
蜂子皇子の父・崇峻天皇は592年に蘇我馬子によって暗殺されたとされる。
蜂子皇子は丹後国の由良(現在の京都府宮津市由良)に渡って山形県の鶴岡市由良にたどり着いたという。
■蜂子皇子と出羽三山
蜂子皇子は出羽三山の開祖とされる。
五穀の種子を出羽の国に伝える。
また産業を興したり、治病の方法を伝えたという。
人びとの苦悩を多く取り除いた功績によって、
・能除仙(のうじょせん)
・能除大師
・能除太子(のうじょたいし)
などとも呼ばれたとされる。
↓は天然痘などが流行していた時代を紹介した回、世界的に不安定な時代だった
↓光明皇后(生没年:701年- 760年)を取り上げた回、仏教を信仰しながら福祉事業を行った
■蜂子皇子とヤタガラス
八乙女浦に舞台岩という岩があった。
そこで八人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見た。
蜂子皇子は美しさにひかれて海岸に上陸したという。
八乙女浦はこの八人の乙女に由来するという。
蜂子皇子はこの後、海岸から三本足の烏に導かれ羽黒山に登る。
そして羽黒権現を会得。
出羽三山を開いたとされる。
羽黒権現(はぐろごんげん)は出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道に基づく神仏習合の神とされる。
↓はgooglemap、山形県の八乙女の像
蜂子皇子の御尊影は怪異な風貌として伝えられている。
献身的な看病によって病気が伝染したものではないかとする説がある。
↓出羽三山神社公式ページ、蜂子皇子御尊影が確認できる
↓はgooglemap、由良
↓はgooglemap、月山神社本宮
↓はgooglemap、月山神社本宮
地名に月、YUDO、YURAなどが確認できた。
■まとめ
・ミツバチの養蜂の歴史を紹介
・スズメバチの漢字に胡、雀があてられる
・崇峻天皇に「雀」の文字があてられている
・崇峻天皇の皇子に蜂子皇子がいる
・蜂子皇子は八乙女浦で八人の乙女が神楽を待っているのを見た
・蜂子皇子は出羽三山・羽黒権現と関りを持つ
・出羽三山は羽黒山、月山、湯殿
・蜂子皇子はヤタガラスと関りがある
・後世に残る蜂子皇子の風貌は肌が黒くペルシャ人を想起させる
蜂子皇子について。実際のところその肌の色はペルシャ由来の一族の末裔、まだ混血が進んでいない時代であり、肌の色が色濃くでた人物だったのではないだろうか。
ヤタガラスや神楽の起源については別途紹介していく。
<参考>
・養蜂 - Wikipedia
・アラニア洞窟 - Wikipedia
・アリスタイオス - Wikipedia
・胡 - Wikipedia
・崇峻天皇 - Wikipedia
・蜂子皇子 - Wikipedia