シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

209.美豆良(ペイオト)を持つ髪型の埴輪と中国の史書での髪型の記述

美豆良(みずら)を持つ埴輪を全て掲載する(調べがつく限り)。そしてカールがかかっている場合を区別して記載する。これより埴輪の中の髪型の違いを示し、カールの有無とユダヤ人との関係性を明らかにする。美豆良のある人物埴輪は特に群馬で多い。カール…

208.装飾古墳とはなにか

装飾古墳について紹介する。装飾古墳は4世紀末頃から7世紀頃まで造られた。九州で56%以上を占める。次の流れで紹介していく。・装飾古墳とはなにか・王塚古墳・チブサン古墳・弁慶ヶ穴古墳・珍敷塚古墳・竹原古墳・日ノ岡古墳・重定古墳・高松塚古墳・虎…

207.3万5千年前からの群馬の歴史と古墳時代の榛名山の噴火

九州、奈良から始まる歴史だけを追いかけ、渡来人の活躍を眺めていると日本のほんとうの歴史を見誤る危険性がある。そこで、群馬の古代史を紹介することで日本は既に古代から発達しており、さまざまな人種を受け入れることが可能な文化レベルに達していたこ…

206.多胡碑とは何か~羊をめぐる群馬と羊の関係~

上野三碑とは何か。そして多胡碑における羊とは何か。羊とはなんの象徴であるのか。・上野三碑とは・上野三碑について・多胡碑・多胡碑の歴史的意味・群馬の名前の由来・羊とは・過越祭の起源と羊以上にて紹介していく。 ■上野三碑とは「こうずけさんぴ」と…

205.山城国風土記の伏見稲荷大社と秦伊侶具の名前のヒミツ

過去記事「201.日が昇る国「日高見国」はどこにあったか」では常陸国風土記・信太郡を取り上げ、秦氏の氏族の一部が常陸国(茨城県方面)に存在していたことを示した。本記事では「山城国風土記」に記された秦氏を取りあげる。次の順にて紹介していく。 ・山…

204.日本における文字と言葉の成立過程

日本における文字と言葉の成立過程を記す。・古墳時代以前・4世紀以降・7世紀半ば~・8世紀:古事記、日本書紀・9世紀初め(平安時代)※一部通説でない情報を含む。■古墳時代以前倭において「やまと言葉」が話されていたと考えられる。しかし全国統一的な言…

203.結婚にまつわる「あなにやし」と「レビラト婚」のヒミツ

「あなにやし」「レビラト婚」から日本とユダヤの結婚にまつわる共通点を示す。次の順で紹介していく。・あなにやし・柱を回る結婚式の共通点・あなにやしとの共通点・レビラト婚とは・ユダヤにおけるレビラト婚・日本におけるレビラト婚・扶余族におけるレ…

202.漢字の読み方のフシギ~訓読み、音読み、漢音、呉音、唐音のナゾ~

なぜ漢字にはたくさんの読み方があるのだろうか。 音読みと訓読みの違い 唐音 漢音 呉音 訓読み、呉音、漢音の違い 漢字伝来の歴史 まとめ にて時代や目的によって言葉の伝来に違いが生じていたことを紹介する。 ■音読みと訓読みの違い 発音を聞くと意味が分…

201.日が昇る国「日高見国」はどこにあったか~常陸国風土記・信太郡を示す地名のナゾ~

日高見国とは何か。いったいどこにあったのだろうか。 ・日高見国のいろいろ ・大祓詞における日高見国 ・大倭とはなにか ・常陸国風土記における日高見国 ・日本書紀の日高見国 ・まとめ以上にて、大祓詞、常陸国風土記、日本書紀などをもとにしつつ、太陽…

200.天皇とは何か、理想的な民意の反映システムとはどうあるべきか

天皇とは何か。・天皇という文字が現れたのはいつか・正式に成立したのはいつか・過去は何と呼ばれていたか・天皇とは何か・厳しかった古代の天皇の時代・今の政治システムの問題・政治システムを変えていく必要がある・現状の投票システム・理想的な投票シ…

199.金の多彩なアクセサリーと螺旋状の髪飾り~新沢千塚126号墳~

新沢千塚古墳群は伝説の日本建国の地、奈良県橿原市(かしはらし)に位置する。橿原神宮とは車のルートで2.8kmほどの距離。本記事では「新沢千塚126号墳」を取り上げ、出土されているアクセサリーなどを下記のとおりで紹介していく。・新沢千塚古墳群とは・…

198.三国志の「呉」との交渉を示す山口周南市「劉氏作神人車馬画像鏡」

卑弥呼が三国志の魏に239年に遣使を行っている。これ以外にいずれかの勢力が呉とも交渉があったことがわかっている。今回は「呉」について下記の通りで紹介する。・前提知識:魏・呉・蜀の位置・中国の皇帝と三国志からわかる弥生時代後期の時代・呉・竹島御…

197.摩訶不思議なお経のヒミツ~般若心経のほんとうの意味~

八角墳やキトラ古墳などの装飾古墳などにより飛鳥時代における古墳が終わると奈良時代、聖武天皇が廬舎那仏を建立、仏教の時代が到来していく。ここでは「般若心経の起源」や「魔訶不思議」の「摩訶」、「般若心経の本来の意味」を下記にて紹介する。・般若…

196.藤原宮と高松塚古墳・キトラ古墳にまつわる「聖なるライン」と「北斗七星」説

前記事で高松塚古墳とキトラ古墳を紹介し、星に関する「星宿図」「天文図」が描かれていることを示した。本記事ではその藤原宮とこれまでに紹介した天武・持統天皇陵、文武天皇陵などが「聖なるライン」で結ばれているという説や関連知識を下記にて紹介する…

195.高松塚古墳とキトラ古墳

壁画で有名な「高松古墳」「キトラ古墳」を取り上げる。これらは600年代後半~700年代前半に建造された。その壁画は高句麗の江西大墓の河西3墓や黄海南道安岳郡の安岳3号墳との類似性がみられる。以下で詳細を紹介する。・高松塚古墳 - 極彩色の壁画 - 被葬…

194.六角墳について~六角墳、八角墳からわかるヤマト王権の王族・有力豪族による支配地域~

今回は「六角墳」を扱う。考古学的な証明がつく3基のほか、調査できた六角墳を全てを扱った。一般的に八角墳は天皇陵が多く、六角墳は皇族で扱われることが多いとされる。八角墳、六角墳を時期とエリアにわけて示すことで、ヤマト王権の王族、もしくは有力…

193.八角墳が6世紀後半から地方で登場、7世紀から近畿で天皇陵として採用された

八角墳を紹介する。地方で6世紀に登場した八角墳は7世紀~8世紀、近畿において天皇の古墳として採用されそれまでの前方後円墳から八角墳へと変わる。これにはどのような背景があっただろうか。次の流れで紹介していく。・八角墳とは・1.段ノ塚古墳(だんの…

192.飛鳥時代の不思議な猿石と檜隅の渡来人の関係

飛鳥時代、不思議な石が残されている。その一端として「猿石」をとりあげる。当時さまざまな人種が入り乱れ、国際色豊かな日本をつくっていった。猿石はその文化の痕跡と考えられる。次の通りで紹介していく。 ・吉備姫王墓内の猿石・吉備姫王・皇極天皇/斉…

191.旧約聖書、古代朝鮮、日本書紀の共通点と神秘のヴェールを解き明かすカギは相撲

ここでは古代における旧約聖書、古代朝鮮(高句麗、耽羅国)、日本書紀といった神話に隠された秘密のベールを「相撲」をキーとしそのナゾを解き明かしていく。 結果として次のことがわかる1.旧約聖書、古代朝鮮、日本書紀において相撲にまつわる共通点があ…

190.キャノンの観音とMAZDAのアフラ・マズダ―~企業名の中の神~

本記事では「企業名」をテーマにそのネームの中の神さまを取り上げ、日本の古代を紹介する。前記事の「火祭り」にも関連する火をあがめるゾロアスター教(拝火教)、そしてその影響を受けた日本のお寺、宮などを次の流れで紹介する。・キャノン・観音菩薩(…

189.イザナギ・イザナミの生まれた大分県のケベス祭り

本記事では大分県に関する伝承をテーマとし、大分の奇祭・ケベス祭りやそのケベス祭りの舞台となる櫛来社(くしくしゃ)の御祭神を取り上げる。次の流れで紹介する。・伝:大分生まれた伊邪那岐命・普及する水田稲作技術・ケベス祭り・ケベス祭りの発祥に関…

188.日本書紀の成立と隼人の乱のあった720年

邪馬台国の時代であった狗奴国、かつての倭奴国は大和王権の時代を経てその後どうなっただろうか。「神話」と「鹿児島」をテーマに720年に起きた2つの出来事を通じて紹介。次の流れで見ていく。・日本書紀の成立した720年・高千穂峰の王国と伊邪那岐の大分…

187.倭奴国史~狗奴国の西暦57年以降の時代~

前記事で唐書を根拠として倭奴国は鹿児島、魏志倭人伝の狗奴国であることがわかった。本記事ではこれまでの内容をふまえつつ「倭奴国(狗奴国)」の視点で古代史を紹介。次の流れで紹介する。・倭奴国・倭奴国史(57年~250年頃)・参考:後漢書倭伝■倭奴国…

186.唐書からわかる倭奴国は鹿児島にあった

唐は618年から907年まで続いた中国の王朝。その時代の東夷伝には「旧唐書倭国伝」、「旧唐書日本国伝」、「新唐書日本伝」、そしてこれに加え「通典」があり、4つ倭国あるいは日本国の日本国像が存在することになる。この4つの日本国像の記述の違いに着目…

185.弥生時代の文化を知る「重さを計る分銅」の出土

弥生時代の「重さを計るための分銅」が出土されている。石、青銅製の2つのタイプが出土されている。古代の分銅が顔料の計測などに使われたことがわかる。※6/5、吉野ケ里遺跡で顔色赤料が検出されたため、多少関連するテーマを記事にしました 次の流れで紹介…

184.新羅の王の名前からわかるハカタのヒミツ~秦氏と八幡の神の関係~

新羅の王を示す「尼師今(にしきん)」という王号がある。「織物」を示す意味があることがわかる。この「尼師今」を紹介しつつ、新羅と秦氏との関係、秦氏と八幡の関係、そして秦氏と蘇我氏の関係性を示していく。 ■新羅の発展三国史記によれば新羅の建国は…

183.第3回遣隋使メンバーの学生の名前のヒミツ

倭の五王の遣使の後、日本は中国への遣使は中断していた。しかし隋の王朝が581年から始まり、日本は600年には「遣隋使」として再開した。本記事では倭人伝などをもとに気づいたちょっと不思議な人物名に関するヒミツから当時の事情を考察する。■遣隋使推古天…

182.中国の皇帝と三国志からかわる弥生時代後期の時代

日本史は東アジアの東の地で、世界史の影響を大きく受けた国だった。そして中国、朝鮮半島に影響を大きく受けていた。今回は特に中国の弥生時代における歴代皇帝と三国志の時代を紹介する。これより220年頃の四隅突出型古墳が終わり、箸墓に前方後円墳ができ…

181.アメノヒボコと伊和大神の播磨国の波加村での土地争い

前記事にて四隅突出型墳丘墓が出現、出雲の山陰や瀬戸内、北陸方面とのつながりを示した。本記事では主に播磨国を舞台とし、日本書紀にみられるアメノヒボコ、播磨国風土記にみられる伊和大神を紹介する。越の国が新羅派である理由がわかる。■播磨国風土記奈…

180.四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期後半から~西谷3号墓からわかる出雲と吉備と越の関係~

弥生時代の墳丘墓には方形周溝墓および円形周溝墓、そして今回紹介する「四隅突出型墳丘墓」が存在する。その分布状況などを知ることで、弥生時代に何が起きていたかの手がかりをつかむ。 ■四隅突出型墳丘墓方形墳丘墓の四隅がコタツあるいはヒトデのような…