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189.イザナギ・イザナミの生まれた大分県のケベス祭り

本記事では大分県に関する伝承をテーマとし、大分の奇祭・ケベス祭りやそのケベス祭りの舞台となる櫛来社(くしくしゃ)の御祭神を取り上げる。次の流れで紹介する。
・伝:大分生まれた伊邪那岐命
・普及する水田稲作技術
・ケベス祭り
・ケベス祭りの発祥に関する説
・岩倉八幡社(櫛来社)
・櫛来社の御祭神
宗像三女神(むなかたさんじょしん)
・考察
・豆知識・鬼奴国

■伝:大分生まれた伊邪那岐命
高千穂峰に天之御中主が生まれた65年後の紀元前8世紀、765年頃に大分で伊邪那岐命は誕生する。伊邪那岐伊邪那美と出会いやがて結婚。伊邪那美は天照と須佐之男を生む。天照は高千穂峰(鹿児島、宮崎にまたがる)の王朝から人格や能力といった才能を買われ引っ越しを決意。のちに日本初の女王となる。須佐之男は東征を行うなど武力によってまとめていくタイプで出雲の国に渡るなどした。

■普及する水田稲作技術(再掲)
中国の長江流域で水田稲作が約7,000年前に始まる。10世紀後半には日本の玄界灘沿岸地域に伝わった。その後、前8世紀の終わりごろ九州東部・中部でも本格的に水田稲作が始まる。同じく前8世紀、香川県より西の瀬戸内沿岸に木製農具や朝鮮半島系の貯蔵用の壺など水田稲作に用いる道具が断片的にみられるように。山陰地方には前7世紀前葉、鳥取平野まで到達した。上記の伝説と水田稲作の伝播は一致しているように思える。
参考:水田稲作の拡散については過去記事から↓
166.水田稲作の拡散状況から再定義する「弥生時代」の始まり - シン・ニホンシ

■ケベス祭り
大分に奇祭中の奇祭と言われる「ケベス祭り」がある。大分県国東市(くにさきし)で行われる火祭り。奇怪な面をかぶった「ケベス」と火を守るトウバ(人間)が棒を使って激しくせめぎあう。トウバは祭りを運営する「当番」地区の者。トウバは白衣を着る。トウバの人たち(男)が火を回しながら参拝客を追いかける。一方のケベスは一番最後に焚火に飛び込み、火を蹴散らす。そしてその火の粉を浴びると無病息災になるとされる。祭り上の役割としてはケベス、トウバのほか、神さまのお供えを整える「オカヨ」や、甘酒づくり「杜氏」などがある。

■ケベス祭りの発祥に関する説
由来も不明で資料も残っていないとされ、発祥にはいくつかの説がある。
①漁業の神として、恵比寿、豊穣を祈願して始まった
②鍛冶の神、ケベスとして始まった
朝鮮出兵の潔斎(けっさい)、神功皇后朝鮮出兵の際に火を焚いて祈念したことで始まった
ユダヤとの関連説:「ケベス」はヘブライ語で「子羊」の意味がある。また祭りでは積み上げられたシダの山に火をつける。このシダの当て字は「羊歯」。いずれにしても伊邪那岐伊邪那美の発祥の地の大分にこのような祭りが地域住民の人たちの努力やそして伝統として守られ、受け継がれているいることが日本の奥深しさ、そして無意識のレベルにおける神々(つまり古代に日本の国土開発をした先輩方)への信仰といえるだろうか。

■岩倉八幡社(櫛来社)
ケベス祭りは櫛来(くしく)の岩倉八幡社(櫛来社)で毎年10月14日(旧暦9月14日)に行われる。櫛来社は宇佐神宮の御分霊を奉祭し、現在地には約1100年前に鎮座した。
参考:YOUTUBEによるケベス祭りの紹介↓

www.youtube.com

■櫛来社の御祭神
櫛来社の御祭神は次のようになっている。御祭神を知りながらこの土地を深く知る。
まず3人の天皇、皇后を祀っている。

帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと):
 仲哀天皇のこと。日本武尊の子で神功皇后の夫。住吉三神が仲哀の妃である神功皇后新羅を治めるよう神託を下したが仲哀はそれに従わなかった。そのため命を落としたとされる。

・息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと):
 神功皇后のこと。熊襲を討伐したのち応神を身ごもったまま三韓征伐、新羅に遠征する。帰国後、筑紫において応神を出産したとされる。神功皇后は「神皇正統記」「常陸国風土記」「扶桑略記」で第15代天皇とされていた。しかし1926年(大正15年)の皇統譜令に基づき歴代天皇から外された。このため第14代仲哀天皇(在位:192年~200年)と第15第応神天皇(在位:270年~310年)の間に70年の空位期間が存在する。

品陀和気命(ほむたわけのみこと):
応神天皇のこと。記紀では渡来人を用いて国家を発展させ、軍神・八幡神として信奉された。

続いて、宗像三女神を祀っている。長女の奥津嶋姫命(おきつしまひめのみこと)、次女の多岐津比売命(たきつひめのみこと)、三女の市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)。

宗像三女神(むなかたさんじょしん)
福岡県宗像市の「宗像大社」を総本宮(そうほんぐう)とする三柱の女神の総称。宗像大社が祀る沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神イチキシマヒメ)」の3人がいる。

長女がタゴリヒメ、次女がタギツヒメ、三女がイチキシマヒメだが、文献によっては長女、次女、三女の名前が入れ替わるったり、複数の名称があるため注意が必要。宗像三女神については下記が参考となる↓
宗像三女神とは|ご利益や神話/伝説、祀る神社や弁財天と同一説を紹介 | 神仏.ネット

■考察
天之御中主、天照の高千穂峰(鹿児島、宮崎)と伊邪那岐伊邪那美の大分、そして須佐之男と関連する出雲のある島根・鳥取あたりが紀元前8世紀時点でつながりがあったと考えられる。

■豆知識・鬼奴国
魏志倭人伝では国東半島は「鬼奴国」、邪馬台国の勢力下にあったと考えられる。
 ※「邪馬台国は熊本にあった!」・伊藤雅文氏の見解に基づく

■感想
日本書紀古事記に関する仲哀天皇神功皇后応神天皇の項、そして三国史記日中韓のDNAなどをもとにすると、日本書紀の物語の世界観が理解できる。朝鮮半島との関係、新羅遠征の根拠、渡来系の氏族の出自、そして奈良朝以前の歴史(高千穂峰、大分、邪馬台国、出雲など)を奈良のヤマト始まりとしてまとめた物語のように思う。

<参考>
127.日本人のルーツと天之御中主神が築いた高千穂峰の王国 - シン・ニホンシ
ケベス祭|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産
神の子羊 - Wikipedia
仲哀天皇 - Wikipedia

神功皇后 - Wikipedia
皇統譜 - Wikipedia
住吉三神 - Wikipedia
応神天皇 - Wikipedia
宗像三女神 - Wikipedia