シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

281.粟凡直(あわのおおしのあたい)と鳴門板野古墳群

引き続きアワを探る。前記事では地名や言葉から「アワ」は祭祀と関係のある古い言葉であることを示した。今回は「粟凡直(あわのおおしのあたい)」を深く掘り下げる。次の流れで紹介していく。 ・粟凡直(あわのおおしのあたい)・粟凡直に関する古墳・応神…

280.古代の地名③:アワ

今回は「アワ」にちなんだ地名あるいは言葉を紹介。これより古代日本を紐解く手がかりを得る。次の流れで紹介していく。 ・阿波伎(あわぎ)・阿波岐原 / 檍原(あわぎはら)・宮崎市の阿波岐原町と江田神社・中王子神社と阿波国造墓碑・粟国(阿波国)と大…

279.淡路(アワジ)の五斗長垣内遺跡と松帆銅鐸

淡路は日本神話の国生みにおいて一番最初に生まれた国土(島)である。なぜ淡路が一番最初なのだろうか、その謎に迫っていく。今回は五斗長垣内遺跡、松帆銅鐸を取り上げる。五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は淡路島にある遺跡。また、同じ淡路で松帆…

278.兵庫県南あわじの入田稲荷前遺跡から出土した「貨泉」と大和大国魂神

兵庫県南あわじ市の入田稲荷前遺跡から中国の古い貨幣「貨泉」が出土している。この「入田稲荷前遺跡」や「貨泉」、そして周辺地域にちなんだ「大和大国魂神」を取り上げる。次の流れで紹介していく。 ・入田稲荷前遺跡・兵庫県内での貨泉の出土・貨泉・貨泉…

277.波斯(ハシ)とヘブライ語の「ハラシ」から野見宿祢は元は大工の職人工集団だったのではないか

今回は「ハラシ」と「ハシ」をテーマに古代の事象を探求する。野見宿禰を取り上げ、渡来の時代を推定する。次の流れで紹介していく。 ・波斯(はし)はペルシアの音写・ハシとは大秦・ローマ・波斯由来の人びとの石工技術・ヘブライ語で大工はハラシ・古墳か…

276.ローマ、伽耶と日の民~民族の渡来史を示す人物名、三田毗登家麻呂とは~

三田毗登家麻呂を紹介する。そして三田氏に関する人物名を紹介、あわせて関連する事項をとりあげる。次の流れで紹介していく。 ・三田毗登家麻呂(みたのひとやかまろ)・三田氏・藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)・三田塩籠(みたのしおこ)・三田…

275.スーパーフレアの発生と続日本紀・775年の記述

過去において何度か巨大太陽面爆発、スーパーフレアが起きていることがわかっている。スーパーフレアとは具体的には何か。またどのようにして過去に起きたことがわかったのか。それは日本でも観測されたのだろうか。次の流れで紹介していく。 ・太陽フレア・…

274.吐火羅国人の日本への渡来ルートとハプログループD系統の類似点

日本書紀にて吐火羅国(トカラ国)からの来日記録が残る。吐火羅国(トカラこく)とはどこか。トカラ国の話から想定される日本への渡来ルートとY染色体ハプログループ・Dの割合の高い地域は類似性がみられる。次の流れで紹介していく。 ・孝徳天皇5年・654年…

273.竹取物語の登場人物・車持皇子と藤原氏の関係

竹取物語に込められた古代豪族に関する歴史の謎を取り上げる。次の流れで紹介していく。 ・竹取物語・紀貫之・登場人物・幼少期・登場人物・求婚者たち・藤原良房(よしふさ)の台頭・藤原良房と承和の変(じょうわのへん)・応天門の変(おうてんもんのへん…

272.恵美押勝の乱と宇佐八幡宮神託事件

恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱、宇佐八幡宮神託事件を紹介する。当時の時代背景をふまえながら、次の流れで紹介していく。 ・聖武天皇による東大寺の廬舎那仏の建造・女帝が続いた7、8世紀の時代・光明皇后・孝謙天皇/称徳天皇・藤原四兄弟の病死と橘諸兄(…

271.宇治橋断碑と飛鳥時代の僧・道登による橋の建設

日本に現存する最古の石碑のひとつ、宇治橋断碑(うじばしだんぴ)を取り上げる。関連する登場人物や事象をあわせて紹介する。次の流れで紹介していく。 ・宇治橋断碑(うじばしだんぴ)・帝王編年記(ていおうへんねんき)・続日本紀(しょくにほんぎ)・道…

270.渤海国の貞孝公主墓と貞恵公主墓、渤海使と藤原仲麻呂

前記事で靺鞨(渤海)について取り上げた。今回も渤海、貞孝公主墓と貞恵公主墓を紹介。また当時の日本との関係を渤海使と藤原氏の外交関係からつないでいく。次の流れで紹介していく。 ・六頂山墳墓群・貞恵公主墓(ていけいこうしゅぼ)・龍頭山古墳群・貞…

269.762年頃に建立された多賀城碑と碑文に刻まれた靺鞨の国

宮城県の多賀城碑を紹介する。碑文の中に登場する靺鞨を紹介する。次の流れで紹介していく。 ・多賀城碑・多賀城・碑文の内容・靺鞨国・豆知識~藤原氏と多賀城碑~ ■多賀城碑所在は宮城県多賀城市大字市川。奈良時代の8世紀頃にたてられた石碑。おそらく多…

268.意斯麻呂と700年の那須国造碑の建立

今回は大田原市湯津上の「那須国造碑」を紹介する。関連知識として過去記事で取り上げた毛野、上野三碑、那須国の要点を紹介したうえで那須国造碑の詳細に触れる。次の流れで紹介していく。 ・那須国造碑・上野三碑・毛野地域と那須国・徳川時代の上侍塚古墳…

267.ネストリウス派による781年の大秦景教流行中国碑の建立と唐代の三夷教

キリスト教ネストリウス派による景教の教義が刻まれた「大秦景教流行中国碑」をとりあげる。また、時間のモノサシとして中国の時代区分を紹介したうえで唐代の3つの夷教について、次の流れで紹介していく。 ・大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅう…

266.加須利君(かそりのきみ)と腆支王(てんしおう)~加須利君はカソリックか~

今回は再び百済の第21代王「蓋鹵王(がいろおう、かふろおう)」、そして新たに第18代・腆支王(てんしおう)、そして2人の王にまつわる倭国との関係を紹介する。下記の流れにて紹介していく。 ・蓋鹵王こと余慶の中国への遣使・蓋鹵王と昆支と武寧王の関係…