シン・ニホンシ

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279.淡路(アワジ)の五斗長垣内遺跡と松帆銅鐸

淡路は日本神話の国生みにおいて一番最初に生まれた国土(島)である。なぜ淡路が一番最初なのだろうか、その謎に迫っていく。今回は五斗長垣内遺跡、松帆銅鐸を取り上げる。五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は淡路島にある遺跡。また、同じ淡路で松帆銅鐸が見つかっており、国宝級とされる。次の流れで紹介していく。

・五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)
・五斗長垣内遺跡の発見の経緯
・発掘調査結果
・松帆銅鐸の発見
・松帆銅鐸の年代
・松帆銅鐸と同じ鋳型の銅鐸
・まとめ

■五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)
所在は兵庫県淡路市黒谷。
弥生時代後期(現在より1800年~1900年前)の日本で最大規模の鉄器生産遺跡。
大規模な工房跡や多数の鉄器が出土している。
鍛冶工房跡である竪穴建物が復元されている。
↓はgooglemap、五斗長垣内遺跡

goo.gl

■五斗長垣内遺跡の発見の経緯
五斗長垣内遺跡は2001年に発見された。
2004年の台風によって淡路島全島が被害を受けた。
その後復旧の調査により、2007年に本格的な発掘調査を実施。
2012年に国史跡に指定された。

■発掘調査結果
・23棟の竪穴建物跡が発見された。そのうちの12棟で、鉄器づくりを行っていた工房であったことがわかっている。
・1軒の中に10基の鍛冶炉がある建物が発見された
・100点を超える鉄製品、多数の石製鍛冶工具類が発見された

■松帆銅鐸の発見
松帆銅鐸は南あわじ市で発見された銅鐸。
運んだ砂の中から偶然発見された。
合計7点がみつかっている。
↓は南あわじ市、松帆銅鐸による歴史に与える衝撃を示したページ

www.city.minamiawaji.hyogo.jp

■松帆銅鐸の年代
銅鐸が埋納されたのは現在より2300年前~2100年前頃とされる。
銅鐸と舌(ぜつ、音を鳴らす道具)が一緒に発見された。
また舌にヒモが残っていた。
銅鐸は当初は音を鳴らすものからやがて見るものへと移行したと言われているが、ヒモが物理的に残っていたことにより、初期は音を鳴らすものであったことの裏付けとなった。

■松帆銅鐸と同じ鋳型の銅鐸
同じ鋳型からつくられた兄弟銅鐸が存在する。
その銅鐸とは
・松帆2・4号銅鐸と慶野中の御堂銅鐸
・松帆3号銅鐸と加茂岩倉27号銅鐸島根県
・松帆5号銅鐸と荒神谷6号銅鐸島根県
である。
銅鐸や舌の成分から朝鮮半島の鉛が使われていることがわかっている。

↓はYOUTUBE読売テレビニュース、淡路島が考古学史を揺るがす!? “鉄器”と“銅鐸”に関する歴史的大発見とその謎に迫る!

www.youtube.com

銅鐸は現在、南あわじ市玉青館で展示されている↓
南あわじ市滝川記念美術館 玉青館 - 南あわじ市ホームページ

■まとめ
五斗長垣内遺跡
・五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)兵庫県淡路市黒谷にある
弥生時代後期(現在より1800~1900年前、西暦100年~200年頃)の日本で最大規模の鉄器生産遺跡
・23棟の竪穴建物跡のうちの12棟は鉄器の工房
・100点を超える鉄製品が発見される
・多数の石製鍛冶工具類が発見される

松帆銅鐸
・松帆銅鐸は南あわじ市で発見された銅鐸、7点が見つかった
・2300年前~2100年前頃、紀元前4世紀~紀元前2世紀頃
・松帆5号銅鐸と島根県荒神谷6号銅鐸は同じ鋳型からつくられた
・松帆3号銅鐸と加茂岩倉27号銅鐸島根県は同じ鋳型からつくられた
・銅鐸の舌には朝鮮半島の鉛が使われていた

結論
・松帆銅鐸は同じ鋳型の銅鐸の存在より出雲と淡路のつながりが確実視される
・淡路には石工、製鉄技術を持つ人びとが存在していた

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<参考>
・淡路島日本遺産:いせき – ごっさ-五斗長-GOSSA
五斗長垣内遺跡 - Wikipedia
五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき) - 淡路市ホームページ
南あわじ市ホームページ
https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/site/matsuhodotaku/feature.html