前記事では福井の岡津製塩遺跡を取り上げた。今回は香川県の「喜兵衛島製塩遺跡(きべえじませいえんいせき)を紹介。また、他地域の製塩土器をとりあげつつ製塩土器の歴史を知る。次の流れで紹介していく。
・喜兵衛島製塩遺跡(きべえじませいえんいせき)
・喜兵衛島製塩遺跡の調査結果
・喜兵衛島古墳群
・師楽式土器(しらくしきどき)
・製塩土器とは
・他県の茨城・上高津貝塚で発見されている完形の製塩土器
・製塩土器の歴史
■喜兵衛島製塩遺跡(きべえじませいえんいせき)
喜兵衛島の所在は瀬戸内海、香川県香川郡直島町。
岡山県玉野市の宇野港から東におよそ2kmほどに位置する。
島の計4箇所に砂浜があり、塩焼きの跡、および「師楽式」と呼ばれる古墳時代の製塩土器が堆積している。
↓はgooglemap、喜兵衛島製塩遺跡、瀬戸内海に浮かぶ島
■喜兵衛島製塩遺跡の調査結果
喜兵衛島製塩遺跡は古墳時代の生産集団のあり方への理解、そして日本の歴史学上において土器による製塩を実証的に研究した重要な遺跡とされる。
昭和29年から近藤義郎らによって発掘調査され、以下のことが分かっている。
南東の浜で炉が5基以上検出されている。
その炉の特徴として
・形:楕円形
・大きさ:長径約3m、短径約1.5m
・平石が敷きつめられている
・炉の周辺には固くしまった面があり、外側には多量の製塩土器が廃棄されている。
塩焼きの場所ではなく、島内の「丘陵寄りの場所」で日常生活に用いた土器が多くみられることからそちらに人びとの居住場所があったと推測されている。
■喜兵衛島古墳群
喜兵衛島の丘陵の尾根部分に喜兵衛島古墳群がある。
古墳が13基確認されている。
大きさは10m前後である。
築造年代は6世紀から7世紀とされる。
横穴式石室が主。
出土品として
・土師器
・須恵器
・鉄器
上記のほか完形に近い製塩土器が副葬されていた。
製塩に関わった人びとの古墳として考えられている。
↓は文化遺産オンライン、喜兵衛島製塩遺跡
■師楽式土器(しらくしきどき)
製塩土器が発見されている地域は熊本県の天草島、宇土半島、瀬戸内、紀伊半島、三河湾沿岸(知多半島から渥美半島)、若狭湾、能登半島、佐渡などがある。このうち師楽遺跡(岡山県瀬戸内市)から出土した土器を標式とする古墳時代の製塩土器を「師楽式土器(しらくしきどき)」とする。
■製塩土器とは
海水を煮詰めて塩をつくる。熱伝導効率をあげるためうすい。そのためほとんどの遺跡では破砕されている状態でみつかるとされる。完形に近いものはめずらしい。
下記岡山県HP内、"「晴れの国」の塩作り"が師楽式土器や塩づくりについて詳しい。
参考:「晴れの国」の塩作り - 岡山県ホームページ
■他県の茨城・上高津貝塚で発見されている完形の製塩土器
製塩土器の「完形」が茨城の上高津貝塚出土、縄文時代晩期で見つかっている。
なお上高津貝塚は古墳時代人の結った頭髪が「みずら」の状態で見つかっている「武者塚古墳」と近い地域。
ちなみに武者塚古墳は近年地中レーダーを使った探索により方墳であったことが可能性が高まったとされる。
↓は文化遺産オンライン、製塩土器、茨城県の上高津貝塚出土、縄文時代晩期のもの
■製塩土器の歴史
たばこと塩の博物館のホームページにおいて、製塩土器が地域と時代別に形状が示された、明快な図によりまとめられている。
考古学上認められる最も古い製塩土器は茨城。茨城には日高見国があったとされる場所でもある。また、青森、岩手などでは三内丸山遺跡、環状列石といった過去、天文学が発達していた痕跡のみられる地域である。
↓はたばこと塩の博物館のホームページ、製塩土器の型式概念図
<参考>
・喜兵衛島製塩遺跡 文化遺産オンライン
・喜兵衛島 - Wikipedia
・師楽式土器(しらくしきどき)とは? 意味や使い方 - コトバンク
・武者塚古墳展示施設 | 土浦市公式ホームページ
・日本の塩:採かんの発達/藻塩焼き(古代)|世界の塩・日本の塩|たばこと塩あれこれ|たばこと塩の博物館
・天理大学 布留遺跡出土の古墳時代製塩土器
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/1688/GKH015709.pdf