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251.関東最古級の前方後円墳、木更津市の「高部30号・32号墳」

日本で最も古い「前方後円墳」は箸墓古墳であると認識されているが、実は箸墓古墳以外にも古い前方後円墳が存在していたことがわかってきている。前記事では沼津市の「高尾山古墳」を取り上げた。ここでは千葉県木更津市の「高部30号」と「32号墳」を取り上げる。次の流れで紹介していく。

・高部30号墳、高部32号墳とは
・古墳の大きさと形状
・出土品
・鏡の出土
・土師器(はじき)の出土
・鉄製品の出土
・資料など
・関連~古来の関東の発達状況~

■高部30号墳、高部32号墳とは
所在は千葉県木更津市の千束台に存在していた古墳。発掘調査後、消滅した。現在は木更津市太田2丁目の「木更津市郷土博物館金のすず」にて展示品が確認できる。
↓はwikipedia木更津市郷土博物館金のすず 出土品が画像が確認できる
ja.wikipedia.org

■古墳の大きさと形状
大きさは
・30号墳:全長33.8m
・32号墳:全長31.2m
古墳形状は前方後方墳とされる。

この2基は関東地方では最古級の前方後方墳であることが明らかになっている。
↓は千葉県HP、木更津市の高部30号・32号墳出土品より

www.pref.chiba.lg.jp

■出土品
・30号墳:7点
・32号墳:20点
合計27点の資料。
内訳は鏡が2点、鉄製品が8点、土師器が17点。

■鏡の出土
2つの古墳で1点ずつ出土している。
・30号墳:二神二獣鏡(にしんにじゅうきょう)が完形で出土。
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)に先行する事例とされる。千葉県内出土品としては最古のもの。
・32号墳:四獣鏡(しじゅうきょう)は破片。ただし破面が研磨されている。破片の状態で使用されていたと考えられている。

■土師器(はじき)の出土
特徴的なものとして手焙形土器(てあぶりがたどき)が両古墳から出土。
・30号墳:丁寧な造り。この古墳から出土した他の土師器と胎土が異なる。東海地方からの搬入品と考えられている。
・32号墳:30号墳に比べて簡素な造り。搬入品を模倣した地元で作られたものと考えられる。

出土した土器などは伊勢湾岸など東海地方からの影響がある。
よって古墳の建造時期は3世紀前半頃までさかのぼる可能性があるとされる。
↓はwikipedia、手焙形土器。鉢形土器の上に開口がある土器。弥生時代後期後半中葉から古墳時代前期の遺跡から出土。全国で出土。畿内を中心、群馬県から佐賀県まで出土。

ja.wikipedia.org

■鉄製品の出土
鉄剣、鉄斧、鉇(やりがんな)、釣針等がある
・32号墳:釣針は、地金が太くおおぶり。その一方、返しがついた精巧な造り。儀礼用として作られた可能性あり。

剣や鉄斧などの鉄器、鏡、手焙形土器が併せて出土。このことは古墳出現期の典型的な特徴を示すとされる。また、古墳出現期において西日本から房総半島への影響を示しているとされる。
■資料など
↓は木更津市HP、高部30号・32号墳出土品の概要
https://www.city.kisarazu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/504/20200424.pdf

■関連~古来の関東の発達状況~
過去記事において、6角墳である千葉県市原市海保に所在する海保大塚(かいほおおつか)古墳、4世紀末の築造を紹介した。千葉県の東京湾に面する市原市木更津市あたりでは既に弥生時代から出雲、東海、南関東でのネットワークが発達していた様子。

↓過去記事で千葉県市原市海保の六角墳を紹介

shinnihon.hatenablog.com

また、東京都西東京市の下野谷遺跡の紹介で示したように、古代から伊豆の神津島、信州の和田峠などから調達した黒曜石もみられ、海洋国家であったことがわかる。
↓過去記事で東京都の下野谷遺跡で縄文時代神津島、信州からの黒曜石の調達があった

shinnihon.hatenablog.com

■まとめ
・高部30号・32号墳の所在は千葉県木更津市、形式は前方後方墳
・30号墳では二神二獣鏡が出土。三角縁神獣鏡に先行する事例とされる。
・30号墳、32号墳とも手焙形土器が出土、30号墳のほうが丁寧なつくり
・30号墳から出土した土器は東海地方からの搬入品と考えられている
・古墳の建造時期は3世紀前半頃までさかのぼる可能性あり