シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

216.鉄剣や鉄刀、鏡に記された文字③~江田船山、稲荷山古墳出土のワカタケルに関する鉄剣など~

今回は「鉄剣、鉄刀、鏡に記された文字」をテーマに日本の古代を探る。
③では下記を取り上げる。下記の流れで紹介していく。ヤマト王権と熊本、埼玉のつながりがわかる。
1.王賜銘鉄剣(おうしめいてっけん)/稲荷台1号墳
2.辛亥銘鉄剣(しんがいめいてっけん)/稲荷山古墳
3.銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)/江田船山古墳
4.金錯銘直刀(きんさくめいちょくとう)/群馬県
5.丙子椒林剣(へいししょうりんけん)/四天王寺
6.三寅剣(さんいんけん)/長野県

■1.王賜銘鉄剣(おうしめいてっけん)/稲荷台1号墳
稲荷台1号墳より出土。所在は千葉県市原市山田橋。形式は円墳。古墳は5世紀中葉~後葉とされる。復元長としては73cmの大きさとされる。12文字のが鉄剣に刻まれている。銀象眼の銘文とされる。鉄剣のほかにも短甲、鉄鏃、刀子、大刀、胡ロク(矢を収納するための武具)、きさげ状工具、砥石などが発見されている。武具の副葬が目立つため功績をなした武人ではと考えられている。

表には
 王賜  敬(安)
裏には
 此廷(刀)

と書かれているとされる。
その意味とは

王から賜った剣をつつしんで取るように

という類型的な文章とされる。
↓は市原歴史博物館より

www.imuseum.jp

市原市埋蔵文化財調査センター 電脳展示室

■2.辛亥銘鉄剣(しんがいめいてっけん)/稲荷山古墳
稲荷山古墳より出土。所在は埼玉県行田市。形式は前方後円墳。大きさは119m。鉄剣の大きさは73.5cm。115文字(表57文字、裏58文字)の銘文が金象嵌で刻まれている。辛亥年は471年と特定されている。
鉄剣に刻まれた内容のその内容は概要は、

471年にヲワケの臣(またはヲワケコ)が杖刀人首として雄略天皇(ワカタケル)に仕えたという内容。
※一部には531年説も。

詳細は次の通り。

<表>
辛亥の年、7月に記す。オワケの臣、上祖の名はオオヒコ、その子はタカリスクネ、その子の名前はテヨカリワケ、その子の名前はテヨカリワケ、その子の名はタカヒシワケ、その子の名はタサキワケ、その子の名はハテヒ。

<裏>
その子の名はカサヒヨ、その子の名はオワケの臣。先祖代々杖刀人の首(大王の親衛隊長)として大王に仕え、今に至る。ワカタケル大王の朝廷がシキの宮にあるとき、わたし(ヲワケの臣)は大王が天下を治めるのを補佐した。この何回も鍛えた刀をつくらせ、わたしが大王に仕えてきた由来を記す。
↓で鉄剣や文字の原文がイメージで確認できる
金錯銘鉄剣 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館

■3.銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)/江田船山古墳
 江田船山古墳より出土。所在は熊本県菊水町。形式は前方後円墳、大きさは62m。
大刀の残存の長さは90.9cm、74文字が刻まれている。そのほか魚などの文様もみられる。5世紀~6世紀に製造されたものとされる。
書かれている文字の訳の例はつぎのとおり。

天下を治めるワカタケル大王の世に典曹人として仕えた。
名はムリテ。
八月中に大きな鉄釜と四尺の廷刀とを用いて80回鍛え、60回精錬を重ねた長さ三寸の良い刀である。
この刀を持っている者は長寿であり、子孫もまたその恩恵を得る。
そして治めるところを失うことはない。
刀をつくった者の名前はイタカ。
文を書いた者は長安である。

典曹人とは外交を統括する豪族。
稲荷山古墳と江田船山古墳出土の鉄剣から、ワカタケル(雄略)、471年頃のシキの宮を起点とし、九州の熊本や、関東の埼玉とヤマト王権に深いつながりがあったことが示された。

↓は文化遺産オンライン
bunka.nii.ac.jp

■4.金錯銘直刀(きんさくめいちょくとう)/群馬県
群馬県内の古墳から出土した伝わっている。刀は全長が77.5cm、6~7文字が刻まれている。金象嵌銘であることがわかっている。7世紀の製造とされる。
↓は文化遺産オンラインより

bunka.nii.ac.jp

■5.丙子椒林剣(へいししょうりんけん)/四天王寺
大阪府大阪市にある四天王寺が所有している。国宝。残存の長さは65.8cm。「丙子椒林」の4字が金象嵌で刻まれている。文字は隷書体(れいしょたい)で漢字の書体のひとつで中国漢代において経書を書き写すのに用いられた文字。7世紀~8世紀頃の製造とされる。日本でつくられたかは不明。解釈は諸説あるが「丙子」は製造された年の干支、「椒林」はその製作者。隋代に伝来したのでは考えられている。四天王寺に伝わる七星剣とともに聖徳太子の佩刀(はいとう・サーベル)とされる。
↓はwikipediaより、画像などが確認できる
ja.wikipedia.org

■6.三寅剣(さんいんけん)/長野県
個人の所蔵。長野県小海町。残存の長さは34.5cm。が刻まれている。「三」「寅」「剣」や梵字を含む9文字のほかに星座や四天王像が刻まれている。字体や内反りの刀身から奈良時代の7~8世紀の製造とされる。製造国は不明。
↓下記、財団法人八十二文化財団にて刀の画像が確認できる
三寅剣 - 信州の文化財 - 財団法人 八十二文化財団

■感想
・王賜銘鉄剣について。千葉県市原市山田橋、古墳は5世紀中葉~後葉。つまり450年以降の5世紀。東京湾と比較的ちかく、千葉こどもの国キッズダムなどと近いエリア。「194.六角墳について~六角墳、八角墳からわかるヤマト王権の王族・有力豪族による支配地域~」で示した千葉県市原市海保の「海保大塚古墳」、4世紀末の築造の六角墳とは6.6kmほど。日本の発展のため、名もない(あるいは残そうとしない)武人たちがいたのだろう。

・埼玉県・稲荷山古墳(さきたま古墳群にある)から出土した辛亥銘鉄剣出土の被葬者は王権とつながりが深い。
↓は過去記事、さきたま古墳群

shinnihon.hatenablog.com

熊本県の江田船山古墳から出土した銀象嵌銘大刀より熊本は王権とつながりが深い。その理由は熊本が邪馬台国、かつ東征前のヤマトタケル邪馬台国の出身者のため。雄略の471年頃は東征から約140~150年経過頃にあたると思われる。

<参考>
鉄剣・鉄刀銘文 - Wikipedia
隷書体 - Wikipedia
稲荷山古墳出土鉄剣 - Wikipedia