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373.曽爾村の漆と獅子舞~漆と獅子舞の起源~

滋賀の甲賀市伊賀市と南下していくと曽爾村(そにむら)がある。どのような土地か。曽爾村に関連する漆や獅子舞を取り上げ、その起源に迫る。次の流れで紹介していく。

曽爾村(そにむら)と漆(うるし)
・漆部造兄(ぬりべのみやつこあに)
・漆の起源
・曽爾の獅子舞
・獅子舞の起源

曽爾村(そにむら)と漆(うるし)
所在は奈良県宇陀郡曽爾村
漆の始まりの地として伝わる地である。

平安時代後期の辞書である「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」の「本朝事始」に由来が残る。かつて「漆部造」が置かれ、そのとき漆の採取や漆工の集団を束ねて朝廷に奉仕したという。
↓はgooglemap、曽爾村

maps.app.goo.gl

↓上記由来は奈良県公式HPより、ほか、本記事では取り上げていない異説も紹介がある
奈良のむかしばなし/奈良県公式ホームページ

■漆部造兄(ぬりべのみやつこあに)

日本書紀用明天皇二年5月(587年)に見える人物。

家系は不詳とされるが、漆部郷が奈良県宇陀郡曽爾村にあったことなどから、漆部造兄は曽爾村の人物であったのではないかと推定されている。

用明天皇が亡くなるほぼ直前の時期、三宝(仏、法、僧)に帰依しようと群臣(まえつきみ)たちに命じる。そして群臣らが入朝する場面。

蘇我馬子宿禰は詔に従って進めようとする。
これに、物部大連守屋、中臣連勝海らが反発。

押坂部史毛屎(おしさかべのふひとけくそ)物部守屋に守屋を陥れる陰謀があることを密告する。

物部守屋河内国の阿都(大阪府八尾市跡部)に退く。
中臣連勝海が人を集めて物部守屋を助ける。

そして物部守屋は阿都の家から物部八坂(ものべのやさか)、大市造小坂(おおちのみやつこおさか)、漆部造兄を蘇我馬子大臣のもとに派遣して退くことを伝達させた。

これより蘇我馬子宿禰は土師八嶋連(はじのやしまのむらじ)を大伴毘羅夫連(おおとものひらぶのむらじ)のもとへ遣わし物部守屋のことを伝えさせる。

大伴毘羅夫連は手に弓矢、皮楯をとって物部大臣の家である槻曲(つきくま、所在地不明)へ向かい、昼夜に関わらず物部大臣を守ったという。

■漆の起源

漆は縄文時代から使われていたようだ。

北海道函館市南茅部地区の垣ノ島B遺跡は縄文時代の早期の遺跡。
この土坑墓から漆を使った約9000年前の副葬品が発見されている。

現在では北海道のものが世界最古という。

↓は北海道、垣ノ島B遺跡にて漆の副葬品の出土状況が紹介されている
北の縄文 - 遺跡紹介:垣ノ島A・B遺跡 - 環境生活部文化局文化振興課

一方、曽爾村と漆の関りについて。
仏教の伝来によって飛鳥・奈良時代、仏具や寺院などで漆が用いられた。
これによって漆器生産が始まる。
これが曽爾村が発祥とされるのはそのような経緯からだろうか。

■曽爾の獅子舞
曽爾村の有名なものとして漆の他、獅子舞があるという。

1718年の徳川吉宗の時代。
大字長野の人たちが伊勢の国に行き伊勢大神楽(いせだいかぐら)を習った。
このことが曽爾の獅子舞いの元となったという。

伊勢大神楽はアクロバットな、曲芸的な舞い方と言われているという。

■獅子舞の起源

獅子舞の起源はインドにあるという。

インドの遊牧民族が獅子(ライオン)を霊獣、神として崇めるようになる。
そしてライオンを模して舞を踊ったのが獅子舞の原型であるという。

仏教伝来後、飛鳥時代になるとこの獅子舞が百済から伝来し寺社の行事において祓いの舞として受け入れられたという。

日本において獅子舞が広まったのは室町時代から江戸時代初期にかけて。
伊勢太神楽(いせだいかぐら)の獅子舞が全国を行脚したことがきっかけと考えられているという。

↓は奈良県曽爾村、曽爾の獅子舞

www.vill.soni.nara.jp

<参考>
日本書紀(四)岩波文庫
色葉字類抄 - Wikipedia
奈良のむかしばなし/奈良県公式ホームページ
日本の漆器 - Wikipedia
伊勢大神楽 - Wikipedia