過去記事にて石枕が出土した古墳を取り上げ、石枕と創世記との関係を示した。今回はその枕の材質が石ではない土製の「埴製枕(はにせいまくら)」が出土した古墳を扱う。次の流れで紹介していく。
・埴製枕(はにせいまくら)が出土した古墳
・産土山古墳(京都府)
・青山遺跡(大阪府)
・おじょか古墳(三重県)
・燈籠山古墳(とうろうやまこふん)(奈良県)
・五条猫塚古墳(奈良県)
・まとめ
■埴製枕(はにせいまくら)が出土した古墳
出土例は少ない。
以下の5つの古墳で埴製枕の出土がみられる。
・産土山古墳(京都府)
・青山遺跡(大阪府)
・おじょか古墳(三重県)
・燈籠山古墳(奈良県)
・五条猫塚古墳(奈良県)
■産土山古墳(京都府)
所在は京都府京丹後市丹後町竹野。
形式は円墳。
築造は5世紀中頃。
大きさは直径54m。
長持形石棺がある。
出土品に
・埴製枕
・環頭刀子
・直刀
・鹿角装剣
・銅鏡
・勾玉
・玉類
・鉄鏃
・短甲
・木櫛
・木弓
・円筒埴輪
など
■青山遺跡(大阪府)
所在は大阪府藤井寺市。
青山遺跡の竪穴住居跡の床面から出土したとする。
青山遺跡がどこかを明確に特定できなかった。
近隣に関連する古代の情報として下記の「はさみやま遺跡」「藤井寺市道明寺」「青山古墳」を紹介、古来からどのような土地であったかを示す。
・はさみやま遺跡
大阪府藤井寺市に所在する後期旧石器時代から近世にかけての複合遺跡。
多くは奈良・平安時代の遺構。
このほか2万2000年前に遡る日本列島最古級の旧石器時代の竪穴建物跡が検出されている。
約2万年前のナイフ形石器、翼状剥片、石核などが出土している。
・藤井寺市道明寺
古代豪族の土師氏と関連。
7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とする。
土師器を製作していたがのちに葬送を司る氏族とされた。
やがて「菅原」を名乗った。
菅原道真が有名。
この付近に土師氏の里村、古墳の築造センターのようなものがあったのではと考えられている。
↓は藤井寺市、土師の里ムラ
・青山古墳
青山古墳は青山2丁目の住宅地に所在。
形式は円墳。
築造は5世紀中葉。
大きさは径65m。
墳丘の周りに濠がある。
青山古墳を1号墳とし、青山2~6号墳を含めて青山古墳群とされる。
形式は前方後円墳が1基、方墳が4基である。
5世紀中葉から末葉にかけて築造されたと考えられている。
↓は藤井寺市、青山古墳
おじょか古墳は志島古墳群(しじまこふんぐん)のうちのひとつ。
三重県東部の海蔵寺東方の高台に所在する。
古墳群にはかつては13基以上が存在したとされる。
現存するのは4基(4号墳、9号墳、10号墳、11号墳)のみ。
うち4号墳と11号墳がの調査が行われている。
4基の中では11号墳がもっとも古いとされ、11号墳をおじょか古墳という。
おじょかの漢字は「王女丘」であるという。
11号墳:古墳形式は不明。
築造は5世紀中葉から後半頃。
横穴式石室がある。
出土として
・銅鏡
・玉類
・武器
・農具
・埴製枕
などがある。
埴製枕の出土はひじょうに珍しい。
ほか、
10号墳:築造は6世紀後半頃。
石室内に箱式石棺がある。
金糸や銅椀が出土。
4号墳:築造は7世紀前半頃。
玄室がある。
12号墳は消滅しているが、仿製五獣鏡が出土したという。
築造時期をまとめると
・11号墳:5世紀中葉から後半頃
・10号墳:6世紀後半頃
・4号墳:7世紀前半
となる。
11号墳から10号墳の間にかけての時期には、南方に前方後円墳が2基(泊古墳、鳶ヶ巣1号墳)などがあり、これらが築造されたのではとみる見解がみられる。
志摩国を支配した島津国造(しまづのくにのみやつこ、しまづこくぞう)と関りがあるのではとする説もみられる。
↓wikipedia、志島古墳群にて、埴製枕がみられる。形としては貝を想起する枕。
↓はgooglemap、おじょか古墳
■燈籠山古墳(とうろうやまこふん)(奈良県)
所在は奈良県天理市中山町。
形式は前方後円墳。
大きさは全長110m。
築造は4世紀前半。
墳丘は3段築成の可能性がある。
後円部に竪穴式石室の石材とみられる板石が多く出土している。
石材は大阪府の柏原市、徳島県で産出される石材とされる。
↓は古墳マップ、燈籠山古墳
kofun.info
↓はgooglemap、燈籠山古墳
■五条猫塚古墳(奈良県)
五条猫塚古墳(ごじょうねこづかこふん)。
五条は五篠とも表記される。
形式は方墳。
築造は5世紀前半。
大きさは1辺が27m。
竪穴式石室がある。
出土品に
・蒙古鉢形眉庇付冑
・金銅製透彫銙帯金具
・刀剣
・鉾
といった武人と思わしきもののほか、副葬品に鍛工具類がみられる。
・ヤットコ
・金鎚
・タガネ
・カナトコ
・砥石
などがみられ、全国的にみても出土例はめずらしいという。
眉庇付冑は3点出土しているという。
そのうちの一つは金銅製の「蒙古鉢形」。
蒙古(モンゴル)付近の冑と形式が類似、関連性があるのではとして「蒙古鉢形」と名付けられているという。
場所は大和と紀ノ川を仲介する場所であり、出土品には海外との関りがみられ、紀州や大陸との交流が指摘されている。
↓はgooglemap、五条猫塚古墳
■まとめ
本テーマでは埴製枕(はにせいまくら)に着目。
古墳の築造順に紹介すると
・燈籠山古墳(奈良県):4世紀前半
・五条猫塚古墳(奈良県):5世紀前半
・産土山古墳(京都府):5世紀中頃
・おじょか古墳(三重県):5世紀中葉から後半頃
※年代不明な青山遺跡出土を除く。
である。よって出土するのは4世紀前半以降。
五条猫塚古墳(5世紀前半)ではモンゴルとの関連も想定される。モンゴルといえば相撲。野見宿禰(土師氏の祖)と当麻蹴速の相撲の話とも関連があるのだろうか。
いずれにしても「はさみやま遺跡」で紹介したように大阪府藤井寺市は2万2千年以上も前の竪穴建物跡が検出されている土地。
今回取り上げた「埴製枕」について。
縄文人が大陸人と出会い、技術を取り入れながら発展していく過程において埴製枕が生まれていったのだろうか。