シン・ニホンシ

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301.女性首長を葬った10か所の古墳や遺跡

今回は女性首長や有力者を葬った古墳や遺跡を取り上げる。これより女性がそのエリアで活躍できる素地があったという共通の価値観がみられる地域がどこに分布していたかを探る。次の流れで紹介していく。

熊本県宇土市:向野田古墳
大分県大分市:築山古墳
京都府京丹後市:大谷古墳(おおたにこふん)
・そのほか、人骨が見つかっている古墳
大分県宇佐市・免ヶ平古墳(めんがひらこふん)
山口県平山町・神花山古墳(じんがやまこふん)
愛媛県今治市・古谷犬山谷古墳(こやいぬやまだにこふん)
愛媛県伊予市・原池遺跡
兵庫県朝来市・向山二号墳
兵庫県豊岡市・坪井遺跡(つぼいいせき)
山形県米沢市・戸塚山古墳

熊本県宇土市:向野田古墳
所在は熊本県宇土市松山町。
形状は前方後円墳
大きさは墳丘長86m。
築造は4世紀後半。
人骨が出土したことに加え、被葬者は女性(30代後半~40代)であった点が注目されている。

埋葬は竪穴式石室が1基、内部に舟形石棺が1基ある。
石棺は刳抜(くりぬき)式で、長さは395㎝。

出土品に
・人骨
・埴輪
・銅鏡
 内行花文鏡:1面
 方格規矩鏡:1面
 禽獣鏡:1面
・碧玉製車輪石(腕輪)
・ヒスイ製の勾玉
・ガラス小玉

また、石棺外には
・鉄刀
・鉄剣
・ヤリ
・鉄斧
などの武器類が置かれていたとされる。

↓は文化遺産オンライン、向野田古墳の出土品が画像で確認できる

bunka.nii.ac.jp

↓はgooglemap、向野田の地理的位置が確認できる

maps.app.goo.gl

大分県大分市:築山古墳
所在は大分県大分市本神崎(ほんこうざき)
佐賀関半島の北西の海岸部に位置する。

北側に神崎八幡神社がある。
後円部の一部が境内にある。

形式は前方後円墳
大きさは全長90m。

築造は副葬品から5世紀中ごろと考えられている。

2基の石棺がある。
いずれも組合式箱形石棺。
大量の、総量で34kgの朱が使われているとされる。

南石棺:3体(女性1体、性別不明2体)
北石棺:1体(女性)

が出土している。

南石棺:
・朱、 麻織物片、 絹織物片、 絹綿(女性の安置のため)
・捩文鏡(ねじもんきょう):1
・鉄刀:11(環頭大刀を含む)
・鉄剣:4
・ガラス製小玉:180
・鉄鏃:90
・釵
・鉄製農工具など

北側石棺:
・巻貝(オオツタノハ)の貝輪:11個
・管玉:2

などが出土している。

なお、近くに亀塚古墳がある。
・形式:前方後円墳
・築造:5世紀初頭
・大きさ:墳丘長116m
とされる古墳である。

伝承や日本書紀から、海部王(あまべのきみ)の首長の墓であると考えられている。
はgooglemap、築山古墳

maps.app.goo.gl

京都府京丹後市:大谷古墳(おおたにこふん)
所在は京都府京丹後市大宮町谷内。
形式は帆立貝式前方後円墳
大きさは墳丘長32m。
築造は5世紀前半。

組合式の石棺が出土。

副葬品に
・銅鏡:1面
・勾玉:1点
・鉄剣:1本
と3種の神器がそろっている。
ほか、
・ガラス小玉:33点
・鉄斧:1点
・刀子:1点
などがみられる。
女性(40代)の人骨が見つかっている。
縄文人的色彩が強かったとされている。

↓はgooglemap、大谷古墳

maps.app.goo.gl

↓はデジタルミュージアム、大谷古墳

www.city.kyotango.lg.jp

■そのほかの人骨が見つかっている古墳
次の古墳で人骨が見つかっているとされる。

大分県宇佐市・免ヶ平古墳
山口県平山町・神花山古墳
愛媛県今治市・古谷犬山谷古墳
愛媛県伊予市・原池遺跡
兵庫県朝来市・向山二号墳
山形県米沢市・戸塚山古墳

大分県宇佐市・免ヶ平古墳(めんがひらこふん)
「川部・高森古墳群」を扱った回で取り上げた古墳。

本来は全長で約50mの前方後円墳であったとされるが、
現状では直径30.5mの円墳の形状をしている。
墳丘の周りに空濠がある。
4世紀後半の築造とされる。
川部・高森古墳群の中では赤塚古墳(3世紀後半)の次に造られたとされる。
竪穴式石室、箱式石棺が見つかっている。

<竪穴式石室>
・後円部中央に位置
安山岩で造られている。
・割竹形木棺が納められている
 副葬品には以下のものが出土している
 ・斜縁二神二獣鏡
 ・三角縁三神三獣鏡
 ・硬玉製勾玉、鉄剣
 ・鉄槍
 ・斧
 ・刀子
<箱式石棺>
・後円部南寄りに位置
・女性、年齢は若い人物とされる人骨
・斜縁二神二獣鏡
・硬玉製勾玉
・碧玉製管玉
・石釧
・刀子
などが出土

免ヶ平古墳には2基の埋葬施設が存在。
その中から
・鉄製品(武器、農耕具など)
・装身具(3面の銅鏡、勾玉など)
が出土している
↓はgooglemap、免ヶ平古墳

maps.app.goo.gl

↓川部・高森古墳群の回にて免ヶ平古墳を紹介

shinnihon.hatenablog.com

山口県平山町・神花山古墳(じんがやまこふん)
所在は山口県熊毛郡平生町佐賀。
形状は前方後円墳
大きさは墳丘長30.3m。
築造は5世紀前半。
人骨が出土、鑑定の結果、20代前半の女性であったとされる。
↓はgooglemap、神花山古墳

maps.app.goo.gl

↓は山口県平生町のページにて神花山古墳が紹介されている
神花山古墳/平生町ホームページ

愛媛県今治市・古谷犬山谷古墳(こやいぬやまだにこふん)
所在は今治市古谷。
平成23年に調査された。
近くに多伎神社がある。
そしてその神社の近くには多伎宮(たきのみや)古墳群、禰宜屋敷古墳群があるというエリア。

古谷犬山谷古墳の形式は方墳。
築造は5世紀中頃。
大きさは1辺が10m。
墳丘中央に二基(南石棺、北石棺)の石棺(形式は箱式石棺)があった。
それぞれに石棺から人骨と大刀が出土した。
南石棺は男性、老齢とされる。
北石棺は女性、年齢は不明。

出典:愛媛県埋蔵文化センターより、PDF
http://www.ehime-maibun.or.jp/fukyukeihatsu/gensetsu/H23gensetsu/H23_g1_takigawa/H23_g1_takigawa.pdf
http://www.ehime-maibun.or.jp/kankobutsu_hoka/hokokusyo/175/hokokusyo_175b.pdf

愛媛県伊予市・原池遺跡
弥生時代から古墳時代にかけての人骨として、女性・熟年の人骨が石棺から出土されている。

伊代市に関連し、嶺昌寺古墳を紹介。

嶺昌寺古墳(上三谷古墳群、広田神社上古墳)の所在は伊予市
4世紀前半の首長墓とされる。
三角縁神獣鏡が2面出土している。
これは京都府・椿井大塚山古墳出土の17号鏡と同范鏡とされる。
鏡を扱った回で取り上げてきた「椿井大塚山古墳」とのつながりが愛媛県伊予にもみられることがわかる。
↓は廣田神社、住所は伊予市上三谷
廣田神社 « 愛媛県神社庁
参考:愛媛県埋蔵文化センターより、伊予神社Ⅱ遺跡
http://www.ehime-maibun.or.jp/kankobutsu_hoka/hokokusyo/110/hokokusyo_110.pdf

兵庫県朝来市・向山二号墳
所在は兵庫県朝来市和田山町

向山二号墳の第二主体部から女性の骨が出土、年齢は40~60歳の間、身長約150cmとされる。

築造は古墳時代前期。
墳系は方形、
3基の埋葬施設が見つかっており
 ・竪穴式石室:1基
 ・木棺直葬:2基
とされる。

竪穴式石室から
 ・木棺の痕跡
 そしてその木棺の外側に
 ・内行花文鏡:1
 ・ヤリガンナ:2
が見つかっている。
↓は兵庫県立考古博物館、向山二号墳
向山2号墓出土品一括(10点)(平成14年度指定) | 兵庫県立 考古博物館

兵庫県豊岡市・坪井遺跡(つぼいいせき)
所在は兵庫県豊岡市出石町
石棺の中に男性2人、女性1人の合計3人が重なって埋葬されていたとされる。
歯の特徴から3人は兄弟、または兄弟とその子供と推定されている。
↓は兵庫県、考古博物館、坪井遺跡の女性の人骨に関する話あり
但馬の古墳人 | 兵庫県立 考古博物館

山形県米沢市・戸塚山古墳
137号墳で古代女性の骨が発見されている。
このエリアでは約200基の古墳が点在。

うちもっとも大きいのは139号墳。
形式は前方後円墳、長さ54mとされる。

その139号墳の東側に
帆立貝式古墳が2基、
・137号墳
・138号墳
がある
このうち137号墳で女性の骨が発見された。
女性の生前の姿がCGで復元されている。

↓はYOUTUBE朝日新聞DIGITAL、1600年前の「置賜卑弥呼」がCGで復元された で確認できる

www.youtube.com

■まとめ
古代、女性がまつられていたことがわかる10の古墳や遺跡を紹介。
その場所とは

・九州:熊本(向野田古墳)、大分(築山古墳)
・中国:山口県(神花山古墳
・愛媛:伊予市・原池遺跡、今治市・古谷犬山谷古墳
・京都:丹後(大谷古墳)
・兵庫:但馬(坪井遺跡、向山二号墳)
山形県:戸塚山古墳
であった。

近接するエリア同士で並べてみると
・熊本の宇土→大分の宇佐→山口県の熊毛半島→愛媛県伊予市愛媛県今治市
というライン、そして
・京都の丹後(大宮町、天橋立付近は阿蘇海がある)や兵庫県豊岡市から、兵庫県朝来市

というラインがあり、これらの地域は4世紀後半から5世紀初頭にかけて女性首長や有力者が活躍していた地域。

卑弥呼の時代には女性1,000人ほどが卑弥呼の周りにいたことが魏志倭人伝に記されている。

当時は女性が身の回りをサポートをしたり、女性官僚のように活躍していたと考えられる。

優秀な女性たちがいたということはもちろんだが、男性がトップに立つと周りの男性たちが競い合い、ムラやクニがまとまらないため女性首長が立ったという事情もあったことだろう。

これらの風土や文化は九州にて卑弥呼、台与といった巫女による首長が続いたことの影響も大きいと思われる。

なお、4世紀後半からは古墳の石室に壁画や彩色をほどこした装飾古墳がみられ、特に九州北部で盛んとなっていく。

<参考>
向野田古墳出土品|宇土市公式ウェブサイト
築山古墳 (大分市) - Wikipedia

大谷古墳 (京丹後市) - Wikipedia
戸塚山古墳/米沢市役所