卜部氏(うらべうじ)とは古代の祭祀貴族の氏族の一つ。後裔の一族の神紋・家紋に「丸に三つ柏」や「下がり藤」がみられる。卜部氏をもとに古代の手がかりを探る。次の流れで紹介していく。
・卜部氏(うらべうじ)
・卜占(ぼくせん)
・卜部
・伊豆卜部氏
・壱岐卜部氏
・対馬卜部氏
・神社の卜部氏
・まとめ
■卜部氏(うらべうじ)
卜占(ぼくせん)によって吉凶の判断をしていた支族とされる。
卜部氏は三つ柏を家紋とした氏族のひとつ。
公家の卜部氏はこの三つ柏を用いたとされる。
メノラー(燭台)の七支(七支刀とも関連)が3つが合わさったタイプのシンボルである。
↓はwikipedia、三つ柏
卜占とは何か。
■卜占(ぼくせん)
占卜(せんぼく)とも。
人の心の内、運勢、未来などの直接観察することのできない事象について判断、予言することや、その方法をいう。
ギリシャや古代ローマでは生贄の動物の肝臓の色を見ることが行われていたという。
中国では金属棒を熱し、動物の肩甲骨や亀の甲羅を焼くことが行われていた。
参考:占い - Wikipedia
■卜部
亀の甲羅を焼くこと現れる亀裂の形によって吉凶を占うこと(亀卜)を職業とした品部。
日本各地に系統の異なる氏族が存在するという。
大きく4つあるという。
まず、日本古来の卜占である太占に関係した氏族の後裔があるという。
太占の「マニ」は古く、先代文明からのつながりも検討される。タイのマニ族と縄文人のDNAに類似がみられる。
↓古代のマナやマニについて考察した回
伊豆(静岡県)、壱岐(長崎県)、対馬(長崎県)の卜部氏は神祇官の官人に任命されたという。
神祇官の次官(大副・少副)には伊豆卜部氏が任命された。
下級職員である卜部には
・伊豆:5人
・壱岐:5人
・対馬:10人
が任命されたという(延喜神祇式による)。
伊豆の卜部氏について。
■伊豆卜部氏
卜部平麻呂(うらべのひらまろ)、生没年807年~881年を実質の祖とするという。
卜部平麻呂の官位は従五位下・丹波介。
平麻呂の子孫は後に
・吉田社系
・平野社系
に分かれたという。
後裔に卜部兼好(1283年頃?~1352年)がいる。
「徒然草」の作者で有名。
吉田兼好として知られる。
しかしこの名前は鎌倉時代および南北朝時代の史料にはみられず、本来は卜部兼好が正しいという。
吉田兼倶(1435年~1511年)によって大成された吉田神道が、
この卜部兼好を「吉田兼好」と呼んだ始まりではないかとする説がみられる。
なお卜部平麻呂以前については明確ではないとされる。
伊豆付近の弥生時代終わりから古墳時代について。
伊豆の近く、沼津では、230年あるいは250年頃に既に前方後円墳の建設が始まっている。
↓沼津市・高尾山古墳について取り上げた回
参考)
・伊豆国 - Wikipedia
・卜部平麻呂 - Wikipedia
・卜部兼好 - Wikipedia
・吉田神道 - Wikipedia
・吉田兼倶 - Wikipedia
続いて、壱岐の卜部氏について。
■壱岐卜部氏
伊吉島造家の伊岐氏(伊岐直)の一族とされる。
真根子命を伊岐直の祖とする系図(松尾社家系図)があるという。
真根子命(まねこのみこと)は雷大臣命の子。
そして雷大臣命は中臣連の祖であるという。
古事記に記載はなく、日本書紀に記される。
雷大臣命(いかつおみのみ)は別名に中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)がみられるという。
古代の壱岐島について。
長崎県壱岐島の原の辻遺跡では上層(九州の弥生後期前半)から貨泉が1枚見つかっている。
↓貨泉について取り上げた回
中臣氏、特にその始まりの中臣鎌足は表舞台に突如現れる。
その出自については
この
・壱岐島にあるというもの
・鹿島神宮のある茨城にあるというもの
などが有力視されている。
仮に茨城がその出自の場合は日高見国も関連があると考慮すべきだろうか。
なお、茨城にあったと推定される日高見国の位置について。
・東は信太流海(しだのながれうみ)
・南は榎浦流海(えのうらながれうみ)
・西は毛野河(けののかは)
・北は河内郡(かわちのこおり)
にあったとされる。
最後に、対馬の卜部氏について。
■対馬卜部氏
対馬県主家の対馬県氏(対馬県直)の一族とされる。
6世紀より対馬は伊勢、壱岐とともに卜部を輩出する国とされたという。
対馬県直の祖神について。
史料によって異なるという。
その候補は
・建比良鳥命
・天児屋根命
・雷大臣命
・建弥己己命(たけみここのみこと)
・押瞻命
らがいるという。
■神社の卜部氏
宗像神社、鹿島神宮、葛城一言主神社などの神社に仕えた卜部氏がみられるという。
・宗像神社の卜部(筑前国)
奈良時代の筑前国の戸籍に卜部の氏人が多数見られるという。
古代、宗像神社に仕えた家の後裔とする
・鹿島神宮(常陸国)
746年、常陸国鹿嶋郡の卜部5戸が中臣鹿島連姓を賜姓されたとされる。
・葛城一言主神社(大和国)
平安時代の僧・源信(生没年:942年~1017年)の父を卜部正親とし、葛城の神に仕えた古卜家の後裔とするもの。
源信の有名な仏教書に往生要集(おうじょうようしゅう)がある。985年(寛和元年)に、著したもの。たくさんの仏教の経典、論書などからまとめたとされる。
■まとめ
卜部氏について。
占いや祭祀に関わる氏族には
・忌部氏(讃岐、紀伊)
・藤原氏
・卜部氏
・安倍氏
・鴨氏(大和国葛城)
・天皇家
らがいる。
うち卜部には
・上古の太占(フトマニ)
・のちの藤原氏
などが関連。
部民制において必ずしも同族とは限らないが、北部九州(長崎の壱岐・対馬、福岡・宗像市)、奈良、静岡県(伊豆市)、茨城などにおいて活躍した氏族、あるいは古代の部民。
<参考>
・十大家紋 - Wikipedia
・建比良鳥命 - Wikipedia
・建比良鳥命 – 國學院大學 古典文化学事業
・天児屋命 - Wikipedia
・津島県直 – 國學院大學 古典文化学事業
壱岐関連
・壱岐国 - Wikipedia
・真根子命 - Wikipedia
・中臣烏賊津 - Wikipedia