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250.日本最古級の前方後円墳、沼津市の「高尾山古墳」

日本で最も古い「前方後円墳」は箸墓古墳であると認識されているが、実は箸墓古墳以外にも古い前方後円墳が存在していたことがわかってきている。ここでは沼津市の「高尾山古墳」を取り上げる。次の流れで紹介していく。
沼津市の高尾山古墳
・高尾山古墳からの出土品
・高尾山古墳から出土した鏡
・浮彫式獣帯鏡とは
・築造の相似性がみられるとされている古墳
・まとめ

沼津市の高尾山古墳
所在は静岡県沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)
形状は前方後方墳
大きさは墳丘長62m、高さは4.7m。
埋葬形態は木棺に対して直接盛り土で覆った木棺直葬
古墳の築造時期は西暦230年頃(250年説も)で、埋葬は西暦250年頃とされる。
葺石は無ない。

※時代認識のための参考:
纒向遺跡は3世紀初頭頃、箸墓古墳の築造は3世紀中頃(~後半)
卑弥呼の魏への遣使は239年
・台与の晋への遣使は266年

↓は静岡県沼津市、高尾山古墳の公式サイト

www.city.numazu.shizuoka.jp

↓はYOTUBE、沼津市、スルガの王と眠りについたモノたち 〜高尾山古墳出土遺物展解説動画〜

www.youtube.com

↓は日経新聞での高尾山古墳の紹介記事

www.nikkei.com

■高尾山古墳からの出土品
埴輪は出土していない。
棺の中と思われる場所から次の副葬品が出土している。
銅鏡:1面(破砕鏡)
鉄槍:2本
鉄鏃:32点
槍鉋:1点
勾玉:1点
副葬品の出土状況については以下のwikipedia、高尾山古墳が詳しい。
高尾山古墳 - Wikipedia

■高尾山古墳から出土した鏡
鏡は直径13.5cmの「上方作系浮彫式獣帯鏡(うきぼりしきじゅうたいきょう)」とされる。
・浮彫の鹿、虎、鳥、羽人が確認されている
・銘文として「上方作竟」、「長冝子孫」の文字が刻まれていたと推定されている。
「長宜子孫」は「長く子孫に宜し」の意味。

■浮彫式獣帯鏡とは
鏡の外側に同心円状に文様を施し、内側に仙人や瑞獣の像を配置する。
仙人や瑞獣の像を細かい線刻で表現したものが「細線式」、浮彫で表したものが「浮彫式」である。

■築造の相似性があるとされる古墳
高尾山古墳と他の古墳の築造に相似性があるとの指摘がある。
前方後方墳では
滋賀県の富波古墳:3世紀後半、墳丘長42m
↓はwikipedia、冨波古墳

ja.wikipedia.org

前方後円墳では
山梨県の甲斐銚子塚古墳:4世紀後半、墳丘長169m
である。
↓はwikipedia、甲斐銚子塚古墳

ja.wikipedia.org

■まとめ
・高尾山古墳は沼津市に所在する前方後円墳
・築造時期は西暦230年頃(250年説も)、埋葬は西暦250年頃とされる

■感想
・高尾山古墳の築造が230年、250年のいずれであったかは箸墓と高尾山古墳のいずれが最古なのかという点で大きな違いがある。しかしそのいずれであったとしても同じ時代につくられた最古の前方後円墳という、前方後円墳を作成することのできる技術を持った人びとが近畿、駿河の両方の地にいて、築造したこという事実が存在する。単に土を盛ったのではなく、墓制の文化、正方形、円形、石を切り出す技術、石を積み上げる技術などが必要。

■参考
高尾山古墳 - Wikipedia