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249.3種の神器の起源は糸島市の平原遺跡か

福岡県の糸島市の平原遺跡(ひらばるいせき)において3種の神器の起源とも考えられる鏡、勾玉、太刀が出土されている。糸島市に位置していた伊都国は歴史的にも古く大陸との接点ともなった地域である。今回はこの平原遺跡(ひらばるいせき)を取り上げる。次の流れで紹介していく。

・平原遺跡(ひらばるいせき)
・平原遺跡1号墓(平原弥生古墳)
・1号墓からの出土品
・出土品の特徴
・埋葬者
・ガラス製品の生産地
・伊都国の王都について
・伊都国の役割
・まとめ

■平原遺跡(ひらばるいせき)
所在は福岡県糸島市有田。弥生時代後期の伊都国(いとこく)国王の墳墓ともいわれている。平原歴史公園として公開されている。
平原遺跡は弥生時代後期から晩期の5つの墳丘墓を合わせた名称。1号墓が発見されたのち、最終的に合計5基の墳丘墓が発見され、1号墓が復元されている。

↓は糸島市HPより、平原遺跡
平原遺跡(ひらばるいせき) - 糸島市

■平原遺跡1号墓(平原弥生古墳)
形式は方形周溝墓で、大きさは14m×12m。長方形の墳墓で四隅が丸くなっている。方形周溝墓の中央に割竹形木棺(わりたけがたもっかん)の埋納があり、この墓は弥生時代終末期(約1800年前)に造られたものとされる。
wikipedia、割竹形木棺とは何か

ja.wikipedia.org

■1号墓からの出土品
鏡とガラスにわけて紹介。
①鏡:40面が出土している。うち日本最大となる大型内行花文鏡(おおがたないこうかもんきょう)が5面出土している。その大きさは直径46.5cmである。内行花文鏡の直径の外周は、鏡の円周の単位で八咫(やあた)あるとされる。よって八咫鏡(やあたのかがみ)と同じ大きさである。
ほか、青銅鏡が35面出土している。その内訳は方格規矩四神鏡が32面、内行花文四葉鏡が2面、四螭鏡が1面である。

②ガラス製品
勾玉が3個が出土、丸玉が500個以上、瑪瑙管玉12個が出土。

いずれも「福岡県平原方形周溝墓出土品」として2006年に国宝に指定された。

■出土品の特徴
伊都国王の墓と推測されている。その理由は日本最大の銅鏡「大型内行花文鏡」が出土したこと。ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数である。これより弥生時代として日本一の規模であるとされ、魏志倭人伝に記載された伊都国と推測された。

■埋葬者
女王と考えられている。その理由は副葬品に武器がほとんどなく、またネックレスやブレスレットなどの装身具が多いことがあげられる。

■ガラス製品の生産地
奈良文化財研究所によればシルクロードにあたるモンゴル、カザフスタンの遺跡などで見つかったガラス製品との共通がみられるとされる。すると、地中海の周辺からシルクロードを通って日本にもたらされた可能性が高いと推測されている。

■伊都国の王都について
王都は三雲南小路遺跡・井原遺跡一帯と推定されている。その根拠として「魏志倭人伝」にて卑弥呼(ひみこ)の時代に伊都国があったと記述されている。
次の3王墓が確認されている。
・三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)
・井原鑓溝遺跡(いはらやりみぞいせき) ※三雲南小路遺跡の南側に隣接
・平原遺跡

これより王墓は三雲南小路遺跡・井原遺跡一帯と推定されている。

■伊都国の役割
過去記事では伊都国は一大率、(半島からの渡来の)監視の役割を果たしていた国と考えられている。
↓過去記事2本にて魏志倭人伝の中の伊都国の役割を紹介

shinnihon.hatenablog.comshinnihon.hatenablog.com

■まとめ
・3種の神器の3点セットである剣、勾玉、鏡がこの時点でそろっていることがわかる。
・平原遺跡のガラス製品の存在をもって、弥生時代に伊都国に地中海方面からの渡来があったと考えられる。

■感想
どのような人種の人が、どのような動機で、何を目的として地中海方面から日本にやってきたであろうか。地中海方面からの渡来とすれば、のちに新羅にローマングラスをもたらした民族たちと同一だろうか。

<参考>
参考①:↓はニッポン旅マガジン、平原歴史公園(平原遺跡)

tabi-mag.jp

参考②:↓はwikipedia、平原遺跡

ja.wikipedia.org