シン・ニホンシ

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208.装飾古墳とはなにか

装飾古墳について紹介する。装飾古墳は4世紀末頃から7世紀頃まで造られた。九州で56%以上を占める。次の流れで紹介していく。
・装飾古墳とはなにか
・王塚古墳
・チブサン古墳
・弁慶ヶ穴古墳
・珍敷塚古墳
・竹原古墳
・日ノ岡古墳
・重定古墳
高松塚古墳
虎塚古墳
・装飾古墳の文様について

■装飾古墳とはなにか
石棺、石室、横穴墓の内・外面に、彫刻や線刻、彩色によって文様、絵画などの装飾を施したもの。装飾古墳は全国に700基ほど確認されていてる。九州の熊本県と福岡県にその多くが分布。装飾古墳は、日本全国に約600基、約340基は九州、約100基が関東、約50基が山陰に、約40基が近畿、約40基が東北地方とされる。九州では特に有明海八代海沿岸で特に多い。文様、人物、動植物、道具などが描かれている。ただし何を意味するのかははっきりとはしていない。色をつけた彩色壁画の古墳も、釘のようなもので描かれた線刻壁画の横穴も含めて「装飾古墳」とされる。

■王塚古墳
所在は福岡県嘉穂郡桂川町、築造は6世紀中ごろ。形式は前方後円墳高松塚古墳キトラ古墳と並ぶ「日本三大装飾古墳」のひとつ。工事により墳丘の半分以上は失われている。5つの色彩で彩られた壁画が石室内ほぼ全面に施されている。装飾の文様には騎馬像、同心円文、三角文、双脚輪状文、わらび手文、靫(ゆぎ)、大刀、盾が描かれている。わらび手文は特に珍しいとされており、これが描かれた古墳は7基しかないとされる。
↓は福岡県観光WEBより

www.crossroadfukuoka.jp

公式HPから装飾と文様が確認できる↓
王塚装飾古墳館|装飾と文様|

■チブサン古墳
所在は熊本県山鹿市城字西福寺、築造は6世紀前半。形式は前方後円墳。赤、白、青を使った壁画がみられる。丸い文様が女性の乳房にも見える2つの並んだ円がみられ、これから「チブサン」という名前がついたとされる。「乳の神様」として信仰されている。別の壁では人と7つの丸の絵が存在する。宇宙人と7機のUFOではとする説が巷では存在する。あるいは、単に7つの惑星なのだろうか。
↓はじゃらんnetより

www.jalan.net

■弁慶ヶ穴古墳(べんけいがあなこふん)
所在は熊本県山鹿市熊入町、築造は6世紀後半。形式は前方後円墳とみなされるが、前方部が失われて円墳のようになっている。前室と後室がある。前室の右側の壁に赤色でゴンドラ型の船が上下に二隻描かれている。荷物とその上にとまった鳥、そしてもうひとつの船では馬が乗っている様子が描いている。
↓下記は文化遺産オンライン
bunka.nii.ac.jp

■珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)
所在は福岡県うきは市吉井町、築造は6世紀後半。形式は円墳。屋形古墳群のなかの古墳のひとつ。屋形古墳群は珍敷塚古墳、原古墳、鳥船塚古墳、古畑古墳の4基の円墳で構成される。珍敷塚古墳の奥の壁の左上には大きな同心円文、その下にはゴンドラ形の船がある。船の舳先(へさき)には鳥がとまる。船をこぐ人がいる。
弓矢が入ったユギが3つある。そのほかヘビ(?)、盾を持つ人、月、ヒキガエル、カラス(?)などが描かれている。この船の舳先にとまった鳥が、日本書紀に出てくる「天の鳥船」ではないか。あの世へ渡っていく水先案内人の役割ではないか、などとする説も。
↓はうきは市観光ポータルサイトより

ukihalove.jp

↓はwikipediaより、屋形古墳群について。
屋形古墳群 - Wikipedia

■竹原古墳
所在は福岡県宮若市竹原、築造は6世紀後半。形式は円墳。「翳(かざし、さしば)」と呼ばれる貴人の顔を隠す長柄の団扇(うちわ)、龍、馬をひく人、朱雀などが描かれている。
↓は文化遺産オンラインより

bunka.nii.ac.jp

■日ノ岡古墳(ひのおかこふん)
所在は福岡県うきは市吉井町、築造は6世紀前半。形式は前方後円墳。奥の壁には赤、白、緑の3色で同心円文、蕨手文(わらびてもん)、三角文などの文様が描かれている。また周囲の壁では武具、魚、船、馬、獣などが描かれている。
↓はうきは市観光ポータルサイトより

ukihalove.jp

■重定古墳(しげさだこふん)
所在は福岡県うきは市浮羽町、築造は6世紀後半。形式は前方後円墳。玄室、前室、羨道部(せんどうぶ ※ )にかけて赤、緑によって同心円文、靭(ゆぎ)、鞆(とも)、蕨手文、三角文が描かれている。
※羨道部:古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分
↓はうきは市観光ポータルサイトより

ukihalove.jp

高松塚古墳
所在は奈良県高市郡明日香村、築造は694年~710年、形式は円墳。
詳細は別記事「高松塚古墳キトラ古墳」を参照頂きたい↓

shinnihon.hatenablog.com

虎塚古墳
所在は茨城県ひたちなか市中根、築造は7世紀初頭。形式は前方後円墳。赤色顔料(ベンガラ:第二酸化鉄)によって描かれた幾何学文様、大刀、盾などの壁画が存在。状態が良く残っている古墳。
↓は産経ニュース記事より

www.sankei.com

■装飾古墳の文様について
装飾古墳の文様にはいくつかのパターンがある。幾何学文様、直弧文、連続 三角文、円文(同心円文)、蕨手文、渦巻き文、格子文、双脚輪状文、菱形文、具象画など。三角文は弥生時代の銅鐸にもみられる。
下記の熊本県立装飾古墳館のHPにて解説がある↓

kofunkan.pref.kumamoto.jp

■感想
装飾壁画が特に有明海八代海沿岸で多いのは、有明海付近に邪馬台国があったためと考えられる。政治の舞台が奈良に移ったあと、九州では古墳を建造しながらも文化(装飾)が発展したのだろうか。

<参考>
・装飾古墳の世界をさぐる
装飾古墳 - Wikipedia
弁慶ヶ穴古墳 - Wikipedia
虎塚古墳 - Wikipedia