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252.東日本最古の前方後円墳、市原市の「神門5号墳」

日本で最も古い「前方後円墳」は箸墓古墳であると認識されているが、実は箸墓古墳以外にも古い前方後円墳が存在していたことがわかってきている。前記事では木更津市の「高部30号・32号墳」を紹介した。ここでは同じ千葉県、今回は市原の「神門古墳群(ごうどこふんぐん)」とその古墳群の中で最古の「神門5号墳」を取り上げる。最古級の前方後円墳というだけではなく広域的な地域間の連携を示す重要な古墳である。次の流れで紹介していく。

・神門古墳群(ごうどこふんぐん)
・5号墳
・4号墳
・3基の前方後円墳について
戸隠神社 (とがくしじんじゃ)
・まとめ

■神門古墳群(ごうどこふんぐん)
所在は千葉県市原市惣社
古墳の形式は
前方後円墳:3基
・方墳:3基
・円墳:1基
以上が調査によって判明している。

5号墳、4号墳、3号墳の順に築造されたことがわかっている。

■5号墳
1949年、早稲田大学によって発掘調査が始まる。
その後、1981年、1984年にも調査が行われた。
結果、全長は42.6mと認識されている。
円形の墳丘の直径が30~32.5m、さらに墳丘の西側に長さ約12mの前方部が存在。
円丘部の周溝のほか、前方部の側面と前面に幅は狭いが区画溝があることが確認された。
このことから纒向型前方後円墳と同様にのちに形が定型化された前方後円墳となる前の時代の前方後円墳と考えられる。
5号墳の出土品には鉄剣が1、鉄鏃が2、ガラス玉が6などが存在する。
↓はgooglemap、神門5号墳

goo.gl

■4号墳
墳丘長は49m。
形式は前方後円墳
4号墳の出土品に鉄剣1、鉄鏃41、管玉31、ガラス小玉394、鉄槍1、槍鉋(やりがんな、大工の木を削る道具)1などがある。

■3号墳
墳丘全長47.5m(復原値53.5m)、周溝も含めれば全長63.5m(ただし復元した場合)となる前方後円墳
出土品は鉄剣が1、鉄槍が1、鉄鏃が2、槍鉋1、管玉10、ガラス小玉103などが出土。

■3基の前方後円墳について
・築造年代について
5号墳、4号墳、3号墳の順で築造されたとされる。築造年代は3世紀中葉前後。
古墳時代で最も初期に位置づけられ、千葉県内および東日本で最古の古墳と考えられている。
・他の地域とのネットワークについて
3基の古墳から出土した土器に、在来の土器に混じり近畿、東海、北陸地方の系譜をもつ土器が数多く含まれる。これより外来的な要素の強い古墳として注目されている。

・神門古墳群の歴史的意義
房総半島の中央部に初期の前方後円墳が出現。神門古墳群の時期、系譜について謎が残されているとされる。

戸隠神社 (とがくしじんじゃ)
神門古墳群の近くに戸隠神社が所在。
所在は千葉県市原市惣社四丁目。
御祭神は思兼命、天手力雄命、表春命。
旧事本紀によれば思兼命は阿知祝部(あちはふりべ)等祖。表春命は信濃の国の阿智の祝部等の祖先とされる。

■まとめ
・神門古墳群の所在は千葉県市原市惣社
・判明している古墳として前方後円墳が3基、方墳が3基、円墳が1基
前方後円墳は5号墳、4号墳、3号墳の順で築造された
・築造年代は3世紀中葉前後、3世紀前半とする説もある
・土器より近畿、東海、北陸地方の系譜を持つ土器が出土、広域的なネットワークがあったことが伺える。

<参考>
神門5号墳/千葉県
神門古墳群 - Wikipedia
・思兼命:オモイカネ - Wikipedia
天手力雄命:アメノタヂカラオ - Wikipedia
・表春命:ウワハル・シタハル - Wikipedia