シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

294.実在しない魏の景初四年(240年)の斜縁盤龍鏡が見つかった京都・広峯15号墳、宮崎県・持田古墳群

卑弥呼が魏に遣使を行ったとされる「239年」は魏の年号で「景初3年」とされる。その景初とは237年~239年まで用いられた年号であった。ところが景初四年(240年)という、実際は存在しなかった年号の鏡が京都、宮崎において見つかっている。次の流れで紹介していく。

・広峯15号墳(ひろみねじゅうごごうふん)
・広峯15号墳から出土した斜縁盤龍鏡
・宮崎県の持田古墳群
・前橋天神山古墳出土の同じ鋳型の鏡
福知山市の武者ヶ谷遺跡
・まとめ
※注:宮崎県・持田古墳群は(伝)扱いとされる

■広峯15号墳(ひろみねじゅうごごうふん)
所在は京都府福知山市羽合町
由良川流域にある。
ただし元の墳丘はなく現在は3/4に縮小されて再現されたもの。
形式は前方後円墳で、由良川流域の前方後円墳として初めて現れたとされるが、定型化された後のものとして認識するかは議論の余地があるとされる。

埋葬施設は木棺直葬の土壙墓(どこうぼ)が一基。

木棺は組み合せの箱形。
その大きさは残存長で3.6m、幅0.7mと大きなものであった。

棺内は二分され、内面には朱が塗布されていた。
主室では頭部の横に銅鏡が一面置かれていた
副室では
 ・碧玉管玉(へきぎょくくだたま):2
 ・鉄剣1:
 ・鉄斧:1
 ・鉄鉇(やりがんな):1
が納められていた。

鏡には絹布がわずかに付着していた。

棺側の棚状の施設に
・鉄槍:1
・革製品の痕跡
が検出された。

↓はgooglemap、広峯15号墳

maps.app.goo.gl

■広峯15号墳から出土した斜縁盤龍鏡
出土した鏡は盤龍鏡(ばんりゅうきょう)とされる
面径は16.8cm。
内区に四頭の龍が放射状に配置されている。

銘帯には、
「景初四年五月丙午之日陳是作鏡吏人詺之位至三公母人詺之母子宜孫寿如金石兮」
の35文字の銘文が鋳出されている。

なお景初四年は魏の年号で、西暦240年にあたる。
景初は237年~239年まで用いられた年号であった。
しかし景初四年(240年)という実際は存在しなかった。

明帝が崩御、その後は元号は正始(240年~249年、皇帝は曹芳)となった。

なお景初・239年時点で次の皇帝となった曹芳は8歳であった。
明帝曹叡崩御後は政務を曹爽(そうそう)司馬懿(しばい)が取り仕切ったとされる。

卑弥呼の遣使は238年説、239年説の2つがある。
239年の場合、卑弥呼の使者は曹芳(実態は曹爽や司馬懿と謁見したことになる。

景初四年(240年)という実在しなかった年号の鏡が存在した理由は明帝の急な崩御によるものだろうか。

↓は兵庫県立考古博物館、盤龍鏡(後漢、1世紀のもの)で盤龍鏡の画像が確認できる

www.hyogo-koukohaku.jp

■宮崎県の持田古墳群
所在は宮崎県児湯郡高鍋町持田。
広峯15号墳同じく、景初四年(240年)の文字が入った鏡が持田古墳群(伝)から出土したとされる。

ただし昭和初期に盗掘が相次ぎ、その後の判明で時間経過のため「伝」扱いとされている。

持田古墳群は
前方後円墳:10基
・円墳:75基
から構成されている。

築造は5~6世紀と推定されている。

現在、景初四年の鏡は「辰馬考古資料館蔵」となっている。

↓はwikipedia、辰馬考古資料館

ja.wikipedia.org

■前橋天神山古墳出土の同じ鋳型の鏡
・三角縁四神四獣鏡の場合

持田旧48号墳から前橋天神山古墳の同范鏡(三角縁四神四獣鏡)が出土したとされる。
伝・宮崎県高鍋町持田48号墳、前橋天神山古墳、鳥取県倉吉市付近の出土品が同じ鋳型で鋳造された鏡とされる。

・三角縁五神四獣鏡
 前橋天神山古墳つながりにて。
前橋天神山古墳は鏡がいくつか見つかっている。
「三角縁五神四獣鏡」の場合、群馬の前橋天神山古墳、奈良県桜井市茶臼山古墳、同じく奈良県天理市黒塚古墳で同じ鋳型の鏡が見つかっている。

福知山市の武者ヶ谷遺跡
上記で取り上げた広峯15号墳は福知山盆地であった。
福知山盆地ではほかにどのような遺跡があるだろうか、あわせて確認しておきたい。

福知山市の武者ヶ谷遺跡では縄文時代の草創期の深鉢、刺突文(しとつもん)小型丸底土器が見つかっている。約15,000年前のものとされる。

福知山市オフィシャルページにて土器の画像が確認できる。
草創期縄文土器深鉢 - 福知山市オフィシャルホームページ

■まとめ
・前々回紹介の、魏の青龍三年・235年の方格規矩四神鏡が出土した京都・大田南5号墳は京丹後市丹後半島の中央部分。

・魏の景初四年(非実在年)の斜縁盤龍鏡が見つかった所在は広峯15号墳は京都府福知山市羽合町福知山盆地のほぼ中央にあたる。

・ここを南に抜けると、丹波京都府の中央、大阪府高槻市、あるいは神戸市のほうに抜ける。

丹後半島福知山盆地ともに特徴のある土地であり、また早くから魏の紀年鏡つながりにて連携があったとみて間違いないものと考えられる。

<参考>
京都府広峯15号墳出土品 - 福知山市オフィシャルホームページ
景初 - Wikipedia
曹芳 - Wikipedia
曹爽 - Wikipedia
司馬懿 - Wikipedia
魏 (三国) - Wikipedia