前回、「実在しなかった」魏の景初四年(240年)の文字がみられる鏡を紹介した。今回は「実在した」正始元年(240年)の三角縁神獣鏡が見つかった山口、兵庫、群馬の3つの古墳を紹介する。次の流れで紹介していく。
・山口県の竹島御家老屋敷古墳
・兵庫県の森尾古墳
・森尾古墳や京都府京丹後市の大田南5号墳といったエリアについて
・群馬県の蟹沢古墳
■山口県の竹島御家老屋敷古墳
所在は山口県周南市竹島町(私有地)。
過去、呉との交渉を示した回で取り上げた「竹島御家老屋敷古墳」と同じである。
古墳築造は4世紀前半。
形状は前方後円墳。
大きさは全長56m。
後円部の中央に竪穴式石室がある。
出土品の中に3つの鏡があり、
・魏でつくったとされたとされている、
・正始元年銘三角縁階段式神獣鏡
・天王日月四神四獣鏡
の計2面
・呉でつくられたとされている、
劉氏作神人車馬画像鏡:1面
がある。
魏と呉の鏡の両方が見つかっている例はないという。
正始元年銘三角縁階段式神獣鏡の「正始元年」は西暦240年にあたる。
「正始(せいし)」は魏の斉王(中国の諸侯あるいは地方の君主)である曹芳の治世に行われた最初の元号である。
↓竹島御家老屋敷古墳から出土の劉氏作神人車馬画像鏡を取り上げた回
築造は3世紀後半から4世紀前半頃とされる。
出土した三角縁神獣鏡には正始元年(240年)の文字が刻まれている。
また、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)も出土している。
1世紀に中国でつくられた鏡とされる。
調査によって「言之紀鏡」の文字がみられるとされている。
■森尾古墳や京都府京丹後市の大田南5号墳といったエリアについて
魏の青龍三年・235年の方格規矩四神鏡が出土している京都府京丹後市の大田南5号墳から森尾古墳は地理的に近い。
また、関連し、函石浜遺物包含地(京都府京丹後市久美浜町湊宮)からは貸泉もみつかっている。「貨泉」は中国で紀元14~40年に鋳造、弥生時代にもたらされた青銅製の貨幣。
時代順に並べると
・京都府京丹後市久美浜町湊宮(函石浜遺物包含地、貸泉、紀元14~40年の貨幣)
・兵庫県豊岡市森尾(森尾古墳、1世紀、方格規矩四神鏡)
・京都府京丹後市(大田南5号墳、魏の青龍三年・235年の方格規矩四神鏡)
・兵庫県豊岡市森尾(森尾古墳、魏の正始元年(240年)、三角縁神獣鏡)
である。
さらに兵庫、あわじエリアにて弥生期の層から出土している「貸泉」が発見されており、
・南あわじ市八木入田(入田稲荷前遺跡、貨泉3枚)
・姫路市鍛冶屋遺跡
といったものがある。
京都府・京丹後 ⇔ 兵庫県・豊岡市 ⇔ 兵庫県・姫路市 ⇔ あわじ
というラインが中国由来の古銭や鏡によってつながっていることがわかる。
↓はgooglemap、森尾古墳
↓は但馬検定公式サイト、森尾古墳にて三角縁神獣鏡、方格規矩四神鏡が紹介されている
↓は貸泉について取り上げた回
■群馬県の蟹沢古墳
高崎市柴崎町蟹沢に存在していた古墳で柴崎古墳とも。
形式は円墳であったとされる。
4世紀ころの古墳と考えられている。
出土品として
・銅鏡:4面
・短冊形鉄斧:2個
・鉄鑿:1本
・鉄製刀剣:一括
・土師器片:9個
が見つかったとされる。
鏡のひとつに三角縁四神四獣鏡があり「□始元年陳是作鏡」の文字がみられた。□は欠落部分。同鋳型の山口県・竹島古墳、兵庫県豊岡市・森尾古墳から出土した鏡から、正始元年、西暦240年のものと推定された。
↓は文化遺産オンライン、蟹沢古墳から出土した鏡
蟹沢古墳と同地域に柴崎浅間山古墳(しばさきせんげんやま)がある。
形式は方墳。
大きさは1辺が約25m。
築造は4世紀とされる。
↓はgooglemap、柴崎浅間山古墳
九州ヤマトタケルが東征の際に山口に上陸したとされる。その時に配った鏡なのだろうか。
また日本書紀では群馬には豊城入彦命を、千葉の印旛には伊都許利を派遣した記録が残っている。
↓群馬、豊城入彦命に関連する回
↓千葉、伊都許利に関連する回