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289.大分県日田市のダンワラ古墳から出土した金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡と魏の曹操との接点

大分県のダンワラ古墳を取り上げる。そしてその古墳から出土したとされる金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡など紹介する。次の流れで紹介していく。

・ダンワラ古墳
・金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)
曹操集訳注における金錯鉄鏡の記述
・魏の曹操の陵墓から出土した鉄鏡と金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡との接点
・西高穴2号墓(せいこうけつ2ごうぼ)

■ダンワラ古墳
かつて大分県日田市日高町にあった古墳。
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)が出土したとされる古墳。
この鉄鏡は国の重要文化財に指定されている。

鉄鏡の発見から古墳の調査までに30年が経過した。
またその後古墳が線路工事によって破壊されたとされる。
・古墳の石棺から鉄鏡と同時に
 ・鉄刀
 ・轡(くつわ、馬の口に含ませる金具)
・周辺から
 ・碧玉製管玉
 ・水晶製切子玉
 ・ガラス製小玉
などが出土したとされている。
なお鉄鏡自体の製造は1~3世紀とされる。一方、竪穴式石室については出土した辻金物の細工より5世紀~6世紀に作られたものではと考えられている。よって鏡はその後受け継がれ、石室の被葬者とともに被葬されたのではないかとされる。
↓はgooglemap、ダンワラ遺跡

maps.app.goo.gl

■金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)

ダンワラ古墳から出土した金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡とは。
鏡の直径は21.1cm。
その厚さは2.5mm。
約3分の1が残存。
中国の漢代のもの(紀元前206年~西暦220年)と考えられている。
ただし前漢(紀元前206年~8年)なのか、後漢(25年~220年)なのかは両方の意見があるとされる。
全面に金で竜文が象嵌(ぞうがん、1つの素材に異質の素材をはめこむ)されている。
角、そして爪は銀の象嵌とされる。
眼や体では赤や緑の玉がはめこまれてている。
中心のつまみ付近に4文字が金で刻まれている。
その文字は「長宜子孫」(ただし"子"は欠落の状態)で漢代の書体とされる。
↓はwikipedia、金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡

曹操集訳注における金錯鉄鏡の記述
中国にて三国時代に記された「曹操集訳注」において魏の曹操が金錯鉄鏡を持っていたことが記されているとされる。

■魏の曹操の陵墓から出土した鉄鏡と金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡との接点
2019年の中国の研究者の結果によると次のことがわかっている。
曹操の陵墓とされる西高穴2号墓から出土した鉄鏡を調査
・西高穴2号墓から出土した鉄鏡と金銀錯嵌珠龍文鉄鏡はほぼ同型式である可能性が高い

■西高穴2号墓(せいこうけつ2ごうぼ)
曹操高陵とも。
所在は中国、河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村。
後漢末期の墓。
1号墓、2号がある。
2号墓の墓室から3人の遺骨と3組の棺材が発見された。

その3人とは男性が1人、女性2人。
男性は60歳前後あるいは60歳以上。
女性のうち一人は50歳あるいは50歳以上。そしてもう一人は20歳から25歳とされる。

2018年に河南省文物考古研究院により曹操の陵墓とほぼ断定された。
そして男性の遺骨を曹操とした。
女性2人の遺骨は卞(べん)皇后の遺骨、そして劉夫人の遺骨と推測した。

卞皇后は中国後漢末期から三国時代の160年~230年の人物。

↓はwikipedia、西高穴2号墓

ja.wikipedia.org

<参考>
ダンワラ古墳 - Wikipedia
劉夫人 (曹操) - Wikipedia
武宣皇后卞氏 - Wikipedia