シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

290.鹿児島の上野原遺跡と北海道の湯の里遺跡群

今回は南の鹿児島の上野原遺跡、そして北の北海道の湯の里遺跡群を取り上げる。日本という地域においてメソポタミアや中国の夏王朝よりも早く文明人が存在していたことを確認する。次の流れで紹介していく。

・鹿児島・上野原遺跡(うえのはらいせき)
 - 最も古い9層
 - 9層と10層目の間
・北海道・湯の里遺跡群
 - 湯の里4遺跡
・群馬・茅野遺跡
・参考
 1.三内丸山遺跡
 2.大湯環状列石
 3.下野谷遺跡
 4.与那国海底遺跡
 5.群馬の歴史

■鹿児島・上野原遺跡(うえのはらいせき)
所在は鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森。
縄文時代早期から中世にかけての複合遺跡。

発掘調査によって17層の土層が調査されている。
この結果、1層から9層目までに遺跡の痕跡が確認されている。
下記で紹介していく。

■最も古い9層
・竪穴建物跡
・集石遺構
・連穴土土坑
・前平式土器
などが確認された。

■9層と10層目の間
縄文時代早期前葉の遺構」が挟まれていた。
そして竪穴建物52棟がみつかっており国内の最古級、最大の定住化した集落とされる。
さらにこの52棟のうち10棟で9,500年前の桜島噴出の火山灰が詰まっていた。
このことから上野原台地において縄文時代早期の早期前葉の時代に10棟程度の集落が形成されていたことがわかる。

↓はgooglemap

maps.app.goo.gl

↓はwikipedia、上野原遺跡

ja.wikipedia.org
鹿児島県上野原縄文の森、先史・古代の鹿児島のページにて地区・遺跡別にPDF形式で調査状況が紹介されている。ただしかなり難しめの内容。

先史・古代の鹿児島 – 鹿児島県上野原縄文の森

南の鹿児島を紹介したため、続いて北海道を紹介する。

■北海道・湯の里遺跡群
所在は北海道上磯郡知内町湯ノ里(かみいそぐんしりうちちょうゆのさと)
知内川沿いの台地上に分布する6つの遺跡。
年代は縄文前期から晩期の各時代とされる。

湯の里1遺跡:立石遺構(りっせきいこう)
湯の里5遺跡:二重のストーン・サークル
湯の里3遺跡:漆塗り製品
が見つかっている。
いずれも縄文時代後期の祭祀に関係した特徴的な遺跡とされる。

■湯の里4遺跡
旧石器時代に所属する土壙から出土した一括遺物。
・玉類:5個
・石刃:1個
・細石刃:2個
・石刃核:4個
・剥片:2個
↓はgooglemap、湯の里4遺跡

maps.app.goo.gl

↓下記より出土した内容が画像で確認できる

bunka.nii.ac.jp

参考:本記事では取り上げないが、北海道の縄文時代について下記、AKARENGAが詳しい。

www.akarenga-h.jp

■群馬・茅野遺跡
所在は群馬県北群馬郡榛東村長岡。
遺跡の時代は縄文時代後期・晩期。
以下のものが出土している

・40軒以上の住居(たて穴建物)
・墓
・湧き水を利用した水場
・耳飾り
・岩版(がんばん):渦巻や三角形の模様が掘られたもの
・手燭形土製品(てしょくがたどせいひん):ランプのように使われた
・石棒(せきぼう)
・石剣(せっけん)
土偶
↓は全国こども考古学教室、茅野遺跡

kids-kouko.com

■参考
過去記事にて取り上げた以下の5地域を再掲し、古代において既に文明の基礎があったことを記す。

1.三内丸山遺跡
2.大湯環状列石
3.下野谷遺跡
4.与那国海底遺跡
5.群馬の歴史

■1.三内丸山遺跡
縄文時代前期~中期の大規模な集落跡。
↓は過去記事、三内丸山遺跡を紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

■2.大湯環状列石
秋田県鹿角市に所在。野中堂環状列石、万座環状列石の2つの環状列石を主体とする。2つの列石とも、石の配置が二重の円構造をしている。縄文時代後期、約4,000年前の大規模な遺跡。
↓は大湯環状列石を紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

■3.下野谷遺跡
西東京市にある縄文時代中期(今から約5千年前から4千年前)の環状集落。
↓は過去記事、下野谷遺跡を紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

■4.与那国海底遺跡
沖縄の与那国海底遺跡与那国島の南東側に位置する海底遺跡。「新川鼻」の沖合約100m付近の海底にある。巨大な階段構造をもつ人口構造物がある。
↓は与那国海底遺跡を紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

■5.群馬の歴史
群馬では約35000年前に旧石器時代のムラがつくられた。約15000年前には土器の使用が始まった。約6000年前には中野谷松原(なかのやまつばら)で環状のムラができた。
↓は群馬の古代史を取り上げた回

shinnihon.hatenablog.com

日本のその後の発展をみれば、東アジアの極東地域において渡来人がさまざまな理由(国が滅びるないしは戦乱)から渡来していった。

素朴なアニミズムの土台(さまざまな動植物、鉱物に神や精霊が宿るとする神道の思想)があったおかげで仏教、キリスト教などの世界宗教を取り入れていったということがいえる。