シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

92.南関東最大級の縄文遺跡、下野谷遺跡の歴史年表で古代日本がわかる

東京都の西東京市に下野谷遺跡がある。南関東では最大級と言われ、都内にあり手軽に行ける場所でもある。近年発掘されたため、公開されている歴史年表が日本史、そして世界史を読み解くうえで重要な手がかりとできる。以下の流れで紹介していく。
・下野谷遺跡
・出土品など
・下野谷遺跡の歴史年表
・年表の読み解き
・ポイント

■下野谷遺跡
西東京市にある縄文時代中期(今から約5千年前から4千年前)の環状集落。南関東では傑出した規模と内容を誇る。集落の範囲は東京ドームおよそ3個分にあたる約13万4000平方メートルと推定される。しかし大半が宅地となっており、その遺跡の一部が公園、"下野谷遺跡公園"となっている。

■出土品など
どのようなものが出土されているだろうか。公式サイトなどによると、竪穴住居の跡、掘立柱建物の跡、土器、石器(弓矢の先につける石鏃、石斧、磨石)など。石鏃に用いられている黒曜石が伊豆の神津島、信州の和田峠などの産地のものであり、交流があったことがわかっている。

■下野谷遺跡の歴史年表
歴史年表が公開されている。西東京市から資料、または遺跡公園の案内板で次の情報が確認できる。

下野谷遺跡の歴史年表

※PDF版は↓下記から入手できる
https://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/sesaku_keikaku/keikaku/kyouiku/shitanoyahozonkatuyoukeikaku.files/s-dai3syou.pdf

■事実部分の読み解き
・3万年以上前の旧石器時代からの出土もみられる。日本にはこの時期から既にルーツとなる日本人が多数いた
・伊豆の神津島などとの交流がみられる。当時既に海洋国家、船の技術が発達していたことが推測できる
下谷野遺跡のメインは縄文時代中期、今から約5千年前から4千年前。既に定住、複数人での生活がみられる
・集落の範囲は少なくとも東京ドーム3個分、約5千年前から4千年前には大規模な人数で定住が行われていた

■ポイント
そのほか世界のナゾを解くうえで記録しておきたいポイントを2つ紹介
1.日本における歴史区分、旧石器時代縄文時代の境目は13000年前
2.縄文時代後期の4400年前 ~ 3200年前頃に"人々の行動の跡が少なくなる"という時期がみられる

<参考>
下野谷遺跡 西東京市Web