シン・ニホンシ

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154.日本最古の稲作集落の跡のひとつ板付遺跡とその土木技術

北部九州への理解が古代のナゾを解く手がかりとなると思われる。縄文から弥生への変遷のひとつの手がかりとなる「板付遺跡」を紹介する。次の流れで紹介していく。

板付遺跡
板付遺跡公園と板付遺跡弥生館
・どのような遺跡か

板付遺跡
板付遺跡は福岡県福岡市博多区板付にある環濠集落。日本最古の稲作集落の跡となるのは板付遺跡佐賀県唐津市の菜畑遺跡とされる。時代は縄文時代晩期から弥生時代後期にかけてのもの。縄文時代晩期の水田跡が検出されている。稲作の起源の解明や、弥生時代開始時期に対する重要な位置づけとなる遺跡である。場所は下記で確認できる↓www.google.com
板付遺跡公園と板付遺跡弥生館
板付遺跡公園」では竪穴式住居が復元されている。「板付遺跡弥生館」では弥生人の生活を知ることができる体験型資料館が併設されている。「弥生のムラ 板付遺跡を歩く」の方が関係各所からの承認を得て情報を提供している↓
弥生のムラ 板付遺跡を歩く

■どのような遺跡か
参考に記したサイトをもとに紹介させていただく。
・環濠集落:標高7~9mほどの台地上の環濠集落がある。竪穴式住居、貯蔵穴、井戸などもある。遺跡は弥生時代が主だが、それに先立つ旧石器、縄文時代や後続する古墳~中世の遺跡のある、複合遺跡。

・歴史的位置づけ:出土した土器からの推定によって日本最古と位置づけられる弥生文化の始まり、最古の農耕社会と考えられている。

・水田跡:環濠集落周辺の沖積地に広がっている。弥生時代初期の水田跡の下の層にさらに古い縄文時代晩期の水田跡が発見されている。木製農機具や用水路に設けられた井堰などの灌漑施設が確認されている。畦の間隔から水田の1区画は400m2程度と推定される。検出された花粉を分析した結果、畑作栽培が推定される。

・水路:台地の東西に低位段丘上に旧諸岡川から用排水路が引き込まれた跡がみられる。水路には井堰が設置されていて水のコントロールが可能となっている。また、土盛り畦畔で囲まれた水田には水口(水尻)が設けられていて、高度な土木技術の証明となる。

・墓など:弥生時代の墓とされる。甕棺が出土した。その中から青銅製の矛、剣が見つかった。弥生土器に金属器を伴う初の例とされる。銅剣、銅矛、銅矛の鋳型、石包丁などが出土されたしている。

■感想
・日本に縄文時代から稲は発見されているのだが、板付遺跡における水路の技術はまさに何ものかの知恵者の渡来を想像させる。
<参考>
板付遺跡 | 文化財情報検索 | 福岡市の文化財
弥生のムラ 板付遺跡を歩く

板付遺跡(いたづけいせき)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
青銅 - Wikipedia