シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

166.水田稲作の拡散状況から再定義する「弥生時代」の始まり

記事「154.」福岡県の板付遺跡を紹介した。板付遺跡は2400年前の弥生時代の集落遺跡であった。一方、水田稲作そのものはいつ頃渡来したのだろう。今回は「水田稲作の渡来」を知ることで、より古代に何が起こっていたかが推測できるようになる。

※藤尾慎一郎氏の「弥生時代の歴史」を参考とした。著作では弥生時代への認識がこれまで500年早くなることが示されている。

水田稲作が日本へ到来するまで
東アジアでは中国の長江流域で水田稲作が約7000年前に始まる。そして水田稲作は10世紀後半に玄界灘沿岸地域に伝わる。ただし日本への渡来ルートは複数の説がある。考古学者の意見はほぼ一致、朝鮮半島南部経由とされるそうだ。中国山東半島から朝鮮半島南部へと至る際、遼東半島経由なのか、黄海を直接渡ったのかは議論が続いているとされる。
下記サイトで稲作の日本への渡来を図解で確認できる↓
水田稲作の伝播 | 日本の歴史アップデート

■日本各地への拡散状況
・九州の東部・中部
前8世紀の終わりごろ九州東部・中部でも本格的に水田稲作が始まる。おおよそ高千穂峰に天之御中主が誕生した頃にあたる。

香川県より西の瀬戸内沿岸
同じく前8世紀には木製農具や朝鮮半島系の貯蔵用の壺など水田稲作に用いる道具が断片的にみられるようになる。

・山陰地方
前7世紀前葉、鳥取平野まで到達する

・四国
前6世紀に徳島市まで到達する

近畿地方
前7世紀に神戸市付近、前6世紀には奈良盆地まで始まる。伊勢湾沿岸地域には前6世紀中ころまでに到達する

・伊勢湾沿岸地域から先
近畿の日本海側を経由し、一気に東北北部まで北上する。前4世紀前葉には青森県弘前市に到達する。前4世紀代に仙台平野、福岡県いわき地域でも始まる。

・伊勢湾沿岸から太平洋側へのルート
前3世紀になってから中部高地、関東南部に到達する

■まとめ
・稲作の到来は玄界灘沿岸には紀元前10世紀後半
・紀元前8世紀頃、九州から始まり、紀元前4世紀には仙台平野まで到達
弥生時代の始まりは紀元前10世紀後半~といえる

■結論
・これまで弥生時代とは土器を時代区分とし、紀元前3世紀~紀元後3世紀頃の古墳時代の始まる前をさしていた。これが稲作(その技術の拡散)と大きな乖離はないとの認識であった。しかし、実際は異なる。稲作技術の開始は弥生土器が始まる前にほぼ完了していたことを意味する。
・時間軸では稲作技術の普及ののち、弥生土器の技術を持つ渡来人が到達してきたということ。

■感想
・すると何をもって紀元前3世紀、弥生時代は始まるのだろうか。朝鮮半島の民族に影響があったのは中国の東周や戦国時代の終了、秦の始皇帝の時代(紀元前259年-紀元前210年)終焉といった王朝の交代が影響しているのだろうか。

<参考>
弥生時代の歴史/藤尾慎一郎