京都の葛野大堰(かどのおおい)は秦氏が築いた取水のための堰(せき)、水位を制御する施設である。この葛野大堰は中国・秦の時代の都江堰(とこうえん)と構造が似ているという。次の流れで紹介していく。
・大堰川(おおいがわ)
・葛野大堰(かどのおおい)
・都江堰(とこうえん)
■大堰川(おおいがわ)
京都の嵐山を流れる大堰川(おおいがわ)は、京都府・丹波山地の大悲山付近を源として始まり、大阪の淀川へと合流する川である。
川の呼び名が場所によって変わる。
・水源~亀岡盆地付近:桂川
・亀岡~京都の間の峡谷付近:保津川(ほづがわ)
と呼ばれる。
平安時代に桂津が発展すると、桂川が一般的な名前となったため葛野川の名が廃れていった。
■葛野大堰(かどのおおい)
築造時期は5世紀後半。
秦氏が嵯峨野地域を開発する際、灌漑を造って農業を広めた。
秦氏が築いたとされる葛野大堰の原型は失われているが、渡月橋上流の川底に当時の段差があるという。
秦氏として有名な人物に秦河勝がいる。7世紀前半・推古朝の人物であるが、河勝という名前は河に勝つ、大きな川の治水を行うという意味も込められているのだろう。
縄文人の場合は大自然をあるがままに受け入れるアニミズム的思想であるが、大自然を制御する発想は西洋的であろうか。
↓はgooglemap、葛野大堰
■都江堰(とこうえん)
中国の秦の時代。
四川省・成都の郊外に都江堰(とこうえん)が築かれた。
これが葛野大堰とよく似た構造であるという。
都江堰は中国・四川省の都江堰市に所在。
その西部の岷江にある古代の灌漑施設。
秦の蜀郡郡守・李冰(りひょう)が洪水に悩まされている人びとを救うため築造したという。
築造時期は紀元前256年から紀元前251年であるとされる。
■まとめ
・秦氏によって築かれた葛野大堰の築造時期は5世紀後半。
・中国・秦の時代に築かれた都江堰(とこうえん)が築かれたのは紀元前256年から紀元前251年。
<参考>
・国土交通省近畿地方整備局 葛野大堰
https://www-1.kkr.mlit.go.jp/river/yodoriver_old/iken_shuu/bessi/bessi_783.pdf
・都江堰 - Wikipedia