栃木県宇都宮市の大谷寺について取り上げる。バ―ミヤン石仏との共通点が見られ、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻したものと考えられているという。それはなぜか。次の流れで紹介していく。
・大谷磨崖仏(おおやまがいぶつ)
・大谷寺(おおやじ)
・大谷資料館と大谷石
・菩薩半跏像(伝如意輪観音)
・アルカイック・スマイル
・アレクサンドロス大王の東方遠征の影響
・グレコ・バクトリア王国とインド・グリーク朝
・まとめ
■大谷磨崖仏(おおやまがいぶつ)
所在は栃木県宇都宮市。
大谷石の巨大な石窟の壁にレリーフ状に仏が彫られている。
その数は全部で10体とされる。
珍しい技法とされ、彫った岩壁面に粘土を着せている。
平安時代中期~鎌倉時代の8世紀~12世紀初頭の製作と推定されている。
という順で製作されたと考えられている。
↓文化庁 大谷磨崖仏/大谷寺洞穴遺跡(おおやじどうけついせき)
■大谷寺(おおやじ)
所在は栃木県宇都宮市大谷町。
日本最古の石仏「大谷観音(先述の千手観音像)」、高さ4mは平安時代、弘法大師の像と伝えられている。
製作当初は彫刻した表面に赤い朱を塗られ、また、粘土で細かな化粧が施され、漆が塗られ、最も表層では金箔が押されていたとされる。
最新の研究でバ―ミヤン石仏との共通点が見られ、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻したものと考えられている。
出典:大谷寺 | 日本最古の石仏「大谷観音」と高さ27メートルの「平和観音」
↓はwikipedia、大谷磨崖仏(おおやまがいぶつ)
石窟の壁に仏像を彫るというスタイルはバーミヤン渓谷、アフガニスタンを彷彿させる。
↓はwikipedia、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
■大谷資料館と大谷石
所在は栃木県宇都宮市大谷町。
大谷石採石場跡に関する博物館。
大谷寺とはすぐ近く。
古墳時代には石棺の材料として大谷石が用いられたという。
8世紀には大谷石が下野国分寺・下野国分尼寺の礎石、地覆石、羽目石で使用されたとされる。
↓はwikipedia、大谷資料館
アフガニスタンになぜ仏教がという点について。
平安時代から少し時代を遡り、中宮寺の菩薩半跏像を紹介。
このあたりが仏教における西洋と東洋の融合とに関わると思われる。
■菩薩半跏像(伝如意輪観音)
聖徳宗・中宮寺(ちゅうぐうじ)、国宝の菩薩半跏像(伝如意輪観音)は飛鳥時代の最高傑作とされる。
古典的微笑(アルカイックスマイル)の典型として評価されている。
・エジプトのスフィンクス
・レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザ
と並び「世界の三つの微笑像」とも呼ばれているという。
↓は中宮寺、菩薩半跏像(伝如意輪観音)の紹介ページ
本尊 - 聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ
■アルカイック・スマイル
アルカイック・スマイルとは顔における感情の表出を抑え、口元に微笑を浮かべた表情のこと。
古代ギリシアのアルカイック美術の彫像に見られる。
また、インドのガンダーラ美術にはギリシャの影響がみられる。
紀元1~2世紀のガンダーラ仏にこのアルカイック・スマイルがみられる。
■アレクサンドロス大王の東方遠征の影響
元をたどるとガンダーラ美術、西洋や東洋との文化融合はアレクサンドロス大王(紀元前356年-紀元前323年)の東方遠征にたどりつく。
アレクサンドロス大王は東方遠征によってインド北部まで辿り着いたとされる。その後、引き返したとされる。
↓はアレクサンドロス大王の東征の意義について紹介した回
この東方遠征の影響によってグレコ・バクトリア王国、インド・グリーク朝などが興る。
グレコ・バクトリア王国(紀元前255年頃~ 紀元前130年頃)もギリシア人の王国であったとされる。
グレコ・バクトリア王国は現在のアフガニスタン北部、タジキスタン、カザフスタンの一部。このグレコ・バクトリア王国がバクトリアに残存する集団、および北西インドの集団(インド・グリーク朝)に分裂したとされる。
インド・グリーク朝は紀元前2世紀~紀元1世紀のギリシャ人による諸王国の総称。
なお、過去記事で紹介したホータン王国(于闐国、56年~1006年)は後漢に従属したものの、1世紀頃から仏教を保護した仏教王国であったとされる。
ホータン王国はタリム盆地のタクラマカン砂漠の南に位置。
■まとめ
以上の歴史が大陸における西洋と東洋の文明の融合、そしてペルシャ人の中国、朝鮮半島、東の国・日本への渡来、仏教の伝来へとつながっていると考えられる。
つまり、グレコ・バクトリア王国やインド・グリーク朝、ホータン王国、中国を経てやがて百済に伝わり(あるいは一部の渡来人は既に仏教を知っており)、538年・百済からの仏教の公式伝来となったと考えられる。
その遠因がアレクサンドロス大王の東方遠征にある。
<参考>
・ガンダーラ美術 - Wikipedia
・グレコ・バクトリア王国 - Wikipedia
・インド・グリーク朝 - Wikipedia
・本尊 - 聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ